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zoom RSS 荒井公康短歌集及び詩集:「母の想い出」その他

<<   作成日時 : 2014/06/05 22:54   >>

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母の想い出のためにこの歌集を残すことにしました。
(私の母荒井操[昭和6年5月13日〜平成14年10月28日享年71歳]のために)


言の葉の終わるところに立つしじま心開かば遠き追憶

モノクロの古き写真に目がとまりそっと重なる幼かりし日

人生はわずかに長い夢のようでもこの夢は神様のもの

雪の夜に深い悲しみめざめをりもし投げ出さば星は消えうす

命とは夢とはほかのものかはとうつせみにあれば言ふも悲しく

月を問う幼かりし日今はもう老いゆく母に問うも悲しく

還らない少年の日の夢の中今はまどろむ春の日の朝

オルゴール遠い昔を思うよう懐かしき音幼きこころ

内にある子供心に出会う夜なぜか寂しく目を閉じてみる

過ぎ去ればみな懐かしく秋の夜昔の写真今だにここに

いつまでもという心は捨てたのに老いゆく親を見るが悲しさ

雨上がり若葉に置きし白露のはかなき命輝きにけり

たらちねの母の病に思いけり生きとし生けるみなあわれなり

いかに生きいかに死すべき身にあれや我ひとりにて問う人もなく

水彩画の如き淡き追憶に心のなかは霧たちこめる

目を病みし母を手伝う台所慣れぬ手つきに何故か悲しき

限りなき寂しさの中ふと薫る花のすがたの春のおとずれ

子供らを無事見届けて秋を知りひまわりの花こうべを垂れる

病みてなお子の身案ずる母の愛その優しさに涙あふるる

時よりも速く過ぎるは命なり桜の花をまた幾度見ん

ぼんやりと母との別れ思われて秋の夜空は涙ににじむ

懐かしい桜の花咲く小学校この手つなぎし母の温もり

辛き時楽しき時もともにいた母の面影春の霞に

桜散り我が悲しみはまさりぬる病に伏せる母の傍ら

犬たちに挨拶しつつ土手ぞいを今日も行くなり母を見舞いに

お爺さん孫と遊んで楽しそう陽を追いかける向日葵の花

他のものはただひとつさえ変わらずに考えがたき母なき世界

人は皆いつか死すべき身にあれど病の母の夏は悲しき

かくまでも移ろい易き命かないつしか消えて記憶となるや

母死なばまた住む所みつけなむ人知れぬ我が心のなかに

秋の夜に涙がひとつ本に落つ母の命と神のみこころ

最後まで我を守りし我が母は心の中に優しくいます

ひととせを病の母と過ごしきぬいつも一緒に幸せなりき

愚かなる身にもあわれは知られぬる天に召される母を見つめて

秋雨に妙に元気な母をみて心の中がうれしくなりぬ

秋雨は天から落ちる涙かもこの悲しみを知るかのように

木枯らしは今年初めて吹きにけり母は病のひととせなりき

秋の夜の母なき家に吹く風は我が身にしみて寂しかりけり

病の母の傍らにいるだけでただただ心悲しくなりぬ

正月を病の母も無事迎えなにはさておきめでたき心地

どうしてか涙止まらぬ秋の夜何が悲しい何が悲しい

ゆるやかなワルツの調べに思い出す幼心と母の優しさ

夜の雨空から落ちるワルツかとおもてに出れば濡れるばかりなり

想い出は闇の中へと消えいりて寂しきワルツを紡ぎておりぬ


    想い出
シャガール
緑と赤と空飛ぶ人
幻想
女のたわごと
気をつけよ
単純で理解しやすい話に
シャガールが絵の中に愛を入れたと?
表参道の古いアパート群
ここを通ると
自分の知らない想い出があふれてくる
これは母が持っていた記憶の欠片か
何故か母のことが今は思い出せない
今私は公園にいるのだろうか
目の前にルソーの絵のような風景がある
鳩や名も知らぬ鳥の群れ
噴水の音
人々の戯れ
私たちはこんなに近くにいながら
決して語り合うこともないのでしょう
冬に咲くすみれの花
子供の声
冬でも緑の常緑樹
私は祈った
神よ私を見出して下さい
母はどこへ行ったのです


    落ち葉
赤や黄色に色付いた落ち葉たちは
公園の地面をカーペットのように敷きつめる
その上を子供達が走り回る
風に舞い上がる落ち葉たちは
秋の光を受けて
時折、宝石のように輝く
この宝石のような落ち葉を集めて
母に捧げよう
驚き、沈黙、祈り
存在の欠落を悲しみが満たすこの瞬間



荒井公康:短歌集

ひらひらとささめく木の葉風に舞い秋の光はただ柔らかく

淡き雪いと淡き雪ふりそそぎ静かなるかな冬のしののめ

陽の光枝の間でダンスして森の大地の花は揺らめく

軽やかに木の葉の踊る窓の外秋風に乗るワルツのリズム

見も知らぬ国に行きたや夏の風僕を追い越す白い雲たち

懐かしくワルツに踊るピアノの音今よみがえる彼の面影

流れくるワルツに踊る心には白き衣装の舞踏の夕べ

神聖な山奥の森そこに住む妖精たちと戯れていたし

ロンドンの椅子と語らう昼下がり僕にはほかに友なきゆえに

陽を受けて光り輝く噴水の落ちる姿は祈りの形

還らない少年の日の夢の中今はまどろむ春の日の朝

人生はわずかに長い夢のようでもこの夢は神様のもの

懐かしく桜の花咲く小学校この手握りし母の温もり

辛き時楽しき時も共にいた母の面影春の霞に

初夏の日の森に入ればそよ風に香るみどりは木漏れ日に揺れ

異国にて風と香りに包まれる僕のはかない夢の行方よ

イパネマの娘眼をふせて僕には振り向きもせず風のように行く

雨の降るこの悲しみの隙間から得られしものの流れ去る日々

「アパートの鍵貸します」と今頃はあの二人どうしているのかな

静寂と永遠を夢見て時計は静かに時を奏でている

吹く風に木の葉のそよぐ夏の日の森の木陰のあなたとわたし

あなたから手紙の届く梅雨の午後雨に濡れても口笛吹いて

冬近く赤き紅葉は地に落ちて真白き雪に包まれてほしく

静寂の夕暮れの森降りる落ち葉は光と音の神の賜物

雨上がり葉っぱの上の水しずく五月の午後の日差しの中で

空晴れぬ先程までの雨の後光る車道と街路樹の葉と

雪降ればセーヌの如き鶴見川白く輝く異国への夢

「ありがとう」甘き夢見る黄昏にワルツを紡ぎ更なる夢を

ひとときの風に波立つ水面には光そそぎて白ききらめき

静けさに輪を描きつつ積もりゆく白き小雪は時を知らせる

今日の日もまたぼんやりと過ぎてゆく望みは持たず心やすけし

ゆるやかなワルツの調べに思い出す幼心と母の優しさ

心地よく心に浮かぶワルツの音夏の暑さも少し和らぎ

夏の日のお昼にいれたアイスティー汗をかいてる氷のグラス

秋深き海辺にはまだ美しく二人歩みし波寄せる道

道に咲く花の名前を知りたくて君に尋ねしあの秋の日に

口笛の暖かき響きが聞こえます心に浮かぶ君の想い出

言の葉は浮きて流れて秋風に舞いし木の葉とただたわむれる

卒業のアルバムを見てあの頃の夢を忘れずこの日を生きる

もつれあうふたつの音に心揺れ目をつむれば静けさの中

おおらかな秋空の下我ひとり歩みを止めて風を感じる

ともしびを木々に灯して十二月きらきら光る夜の街角

この道はなぜか懐かし街路樹の木の葉色付く秋のひととき

軽やかにボサノヴァ流れ涼しげに静かに揺れる白いカーテン

手のひらに淡雪は落ち一粒の涙のように融けて流れる

ダンディにピアノを弾くビルの姿が心に浮かび伝説を知る

還らない少年の日の夢の中今はまどろむ春の日の朝

虹色の雪の水玉枝先に映る姿は夢のいざない

知らぬ間に静かな時間過ぎてゆく古き写真を見てる間に

モノクロの古き写真に目が留まりそっと重なる幼かりし日

オルゴール遠い昔を思うよう懐かしき音幼き心

音楽に思い出してるあの頃の君の笑顔と僕の笑顔と

よく晴れた小春日和の午後の部屋明日もよき日とふと思いけり

一日を川辺に座り過ごしたりさすがに和む我が心かな

静かな日心に浮かぶ旋律を書き留める時何故か嬉しく

あてもなく友の便りを待つ僕は郵便受けに行ったり来たり

懐かしきギターの音色思い出す幼き日への甘き郷愁

バスの中椅子を枕にまどろみて流れる景色夢と間違え

ゆらゆらとワルツに揺れる我がこころ夢見心地の新年の朝

手水鉢冷たき水は透き通り晴れゆく空を水面に映す

美しい音楽にふと我を忘れ冬の陽だまりにたたずむ時

明るい午後の日差し暖かく寂しき身でも心は和み

初恋の淡き想い出にうっすらと街の夕暮れ染まりゆきけり

バスを待ち光まぶしく目をとじるただひとり知る朝の秘め事

冬の日にハープのワルツ聞き入れば日差しもありて寒さ忘るる

幼き日若き父母との晩餐会月一回なれど幸せなりき

茶の香りふと和みたる君の目につられし我もふと和みたり

若き父母に連れられ行きし遊園地想い出深きメリーゴーランド

夜更けまでギターを弾きし若き頃まだ見ぬ人に聞かせたかりし

冬の空淡き光はふりそそぎ海にたたずむ僕らをつつむ

山の雪冬の名残をとどめても海を望めば霞立つ春

沈丁花甘い香りの春が来る寂しき身にもまた春は来る

寒き夜に外に出たなら星の群れこの星のもと君も住むとは

そこはかと春の気配の訪れに心浮かれて君に会いたし

映画見てこころ洗われ外に出る仰ぐ夜空に光る星屑

ゆりかごに眠る幼子のごとく静かな心の雨の降る夜

知らぬ間に揺れるブランコを見つめいて一緒に揺れる我が心かな

小さな子リュックをしょってどこへ行くここにもあるよ不思議なオモチャ

ワルツに乗って踊るように春風と桜の花は寄り添うてをり

夜の雨空から落ちるワルツかとおもてに出れば濡れるばかりなり

砂浜に貝を探しに行ったきり君は帰らず時は過ぎ去り

想い出は闇の中へと消えいりて寂しきワルツを紡いでおりぬ

バスの窓白くくもりて移り行く外の景色は淡く輝く

外に出て涼しき風に吹かれれば立秋過ぎの季節を感ず

夏の日のスコールを浴び爽やかに木々の緑は風にそよいで

あこがれしモノクロ映画の美女たちも時は過ぎ去り我より若く

軽やかに心は歌うボサワルツ何もかも忘れ君を想う

台風のもたらす雨の打つ音がいつのまにかワルツの調べに

失いて得られしものに感謝してジムとデラには神の祝福

並木道秋の紅葉は色付きて淡き光は木の葉を照らす

ひらひらと雪の舞う庭外に出て遊ぶ子供達クリスマスの朝

クリスマス全てを包む白き雪みんなの家もやさしく包む

白き雪ワルツを踊り降り下りる子供も子犬もはしゃぐクリスマス

いつまでも覚えているよ初めての父母からのクリスマスプレゼント

雪の降るクリスマスの夜祈り終え眠りにつこうワルツ聴きつつ

鈴の音とトナカイの引くそりの音待ち焦がれていたクリスマスイヴ

静けさに雪を見ながら朝を待つ夢のようなクリスマスイヴ

目が覚めて表を見れば白き雪我に還ればひとりなりけり

降りてくる不思議な光に誘われて幼き日への扉を開く

早春の春風に乗るハーモニー遠く流れてあなたに届く

僕ひとり桜楽しむ春の日にビルの面影ワルツとともに

もういない母への手紙五月の日思えば昨日は子供の日

今もなおかすかに聞こゆ子守唄いとやさしく母は歌いし

物憂い雨模様の午後ポストには思わぬ人より葉書がありて

静かなる五月の日に憂いし人の面影心に浮かぶ

気が付けば激しい雨が降っているつまらぬ曲を笑う如くに

我が父母とたびたび行きし伊豆の海忘れがたきは旅路のこと

よく晴れた爽やかな五月ひとりでも幼き頃を想えば楽し

南方の海に浮かぶ孤島にて潮騒の音ひたすら聞きたし

ひそやかな想いをはせる梅雨の午後誰も知らない遠き追憶

真夏でも雪が降るという白き国幼き僕に母は語りし

夜更けまでワルツを紡ぐ我なれど想い浮かぶは幼き日ばかり

飽きもせずワルツを紡ぐ我なれど窓を開ければ外はもう初夏

木の精がおりてくるまで木陰にて緑を見つつ過ごす初夏の日

梅雨空と紫陽花色の園生には淡く流れる想い出の時

涼しげな風鈴の音そよ風がひととき心を通り抜ける

悲しみの中から見えるトンネルのかなたむこうの微かな光

爽やかな初夏のそよ風に誘われて心も軽くあふれるメロディー

秘めやかなかなわぬ恋をあきらめるこのワルツさえ貴女に届けば

梅雨の雨遭う人もなき日曜日ひとり書を読み不思議と出会う

梅雨明けに心浮かれてまぼろしの貴女と踊るおかしな男

外は雨涼しき風が訪れて静かに終わる夏の想い出

夏の夜にきらきら光る星たちは小さな声で語り合うよう

過ぎし日よ夢幻の人生よ思いがけない夏の夜の夢

たまゆらの君の気配に振り向けど甘く切なく君去りし後

クリスマス僕は確かに恋してる雪降る街であなたを待ちて

水溜りスズメ飛び込み水浴びる小春日和の川の岸辺で

東方の三博士の見たという星やいずこに僕を誘う

雪は降り人は優しいクリスマスもみの木の星ベツレヘムへと

イギリスのことわざにあり5月には4月の雨が花をもたらす

空くもり心もくもり僕はまた君といた日を思い浮かべる

学問は極め難しと悟る夜何故か虚しく本を見つめる

心地よく音楽流れるこの部屋で本を読むなり学者の如く

梅雨に入り紫陽花の花色を変え掴めない君の心の如し

カンバスの緑の中の紫は想いと同じ秘められし色

晴天の五月五日の子供の日お風呂の中は菖蒲の香り

一夏を静かに過ごすこの身にはもはや過ぎにし恋へのプレリュード

雨と風台風過ぎにしこの国にもたらされるは南国の歌

雨のほか誰も語らず我ひとり音に託すは都会の孤独

涼しげに霧雨の降る秋の日に流れ始める不思議なワルツ

父母に手を握られし幼き日ふと懐かしく思いだされる

回路図を見ても分からず情けなや九月になりても暑さ変わらず

降り注ぐ色と音にも秋は来ぬ行き交うものの過ぎる礎に

テンダリー少し寂しく優しげに部屋をあやどるワルツのリズム

我が心今風となり木に寄せて枯葉と散りてああ秋を知る

通り雨街を濡らして鮮やかに空に描いた七色の虹

睦月の日長くなりつつ気がつきて西を見やれば紅の空

穏やかにワルツに踊る若葉たち木漏れ日の下ひとり歩めり

わが名をば呼ぶ気がした幼き日の母の声かな父の声かな

教会と保育園と公園の光の中の秋のひととき

限りなき寂しさの中ふと香る金木犀と秋の訪れ

寂しさに目が覚める朝楽しかりし幼き日へ想いを馳せて


 実家で物を整理していたところ、1987年頃(私が32歳の頃)の詩が出てきました。随分と深刻な詩を書いていたようです。当時はヤスパースの哲学書とリルケの詩集を必ず持ち歩いていました。


     仮面
ちょうど死を迎える人が
こころの牽引力を失うように
もろもろのものを解き放ちながら、自ら
人格と呼ばれる仮面をはぎとる者よ
多くの人々が自分と認めている仮面を
しかし、それは異様に思われるのだろうか
しきたりと素朴な信と知を生きている人々にとっては
そこから立ち現れるものの群れは
人々が知らないと思っているもの
そして、もはや個の私というものもなく
流れ出て
他の人の限定に委ねながら
他の人の人格に加えられてゆく      
(1987年8月27日)



     空白
彼は何も望まなかった
大いなることも何も
ただ子供のような好奇心が
神秘への強い憧憬が
彼をひとつの高みへと導いたのだ
もはや彼も忘れている高みへと
そこからの現実へのアドリアネの糸は断ち切られている
戻るすべもなく彼は疲れ果て
子供らしさを失った今も
彼の内部の世界は溢れながら
空虚な心を満たすかのように
拒みながら受け入れ続けている
そこへ空白がふと襲うのだ
長い空白が
次第に長くなる空白
突如、老人と子供が語らっているのが目に入ると
彼は汽車を降りた
(1987年8月26日)


     憂鬱(ソネット)
黒く重たい空が夏の空を被い始める
雨の予感に彼は窓辺に歩み寄る
まるで不安であるかのように装いながら
しかし、それは彼にとって好ましいことなのだ
この痛ましい現実が中断されるのだから
人々の中に存在するために
何と彼は多くのことを語らねばならないのだろう
意味ありげな言葉を
実現することのない未来を
それらを疲れ果てながら捧げていかなければならない
今日から明日へと
彼はもう消えてゆきたいのだ
ああ空は晴れてゆく
彼の心に黒く重たい雲を残して
(1987年8月24日)


      たそがれ
どこまでもゆくがよい
夕暮れとともに解き放たれ
この並木道を覗き込んでいる
空と雲と光のたわむれの綾の中に
織り込まれてゆく心よ
ふと日々が親しくなるとき
それを受け止めながら
言葉を残して
心は離れてゆく
私が終わるところへ、そして
全てが終わるところへ
(1987年8月21日)


      時
朝の雑踏の流れの中を
ひとりの子供が座っている
将来の希望と不安を担いながら、まだ
そのことに気づかずに
名もない小さな花のように
主張のない主張よ
ごらん
そこで時がせき止められているのを
ああ、もう私たちにはでkないのだ
あのように時を持つということが
(1987年8月19日)


      通り雨
夏の日は時折思い出したように
既に日差しの濃い陰に隠れてしまった
森の緑を蘇えさせるために
通り雨を降らせるのだろうか
雨の後
木の葉はおもむろに香りを放ち
和らいだ光のもとで
この時をどう現そうかと
風にゆらめく
そこには微かな鈴の音が
ささやかなひとときが安らっているようだ
しかし水に濡れた葉は躊躇いがちに
鮮やかな緑を空に示し
ふたたび強い日差しを求め始める
(1987年8月7日)


      別離
これほどまでに依存しながら
そして不安と苛立ちと悲しみの中にありながら
冷静なもうひとりの自分が
私とも思えぬ自分が
冷たい美しさの貴女を認め
美しい繋がりを差し出すこともできず
予感に過ぎぬものが言葉を駆り立てながら
口ごもらせる
二人の関係が他に共有されたとき
解くこともできぬ心ない誤解を
呼びながら立ち去らせる暗い夜を
ほとんど意味も分らぬその夜を
何度予感したことだろう
(1987年8月4日)


      白き鳩
冷たき風のまだ吹くも
梅の花咲く古き社の坂の下
寒空より白き鳩の舞い降りて
いにしえ思いて再び飛び立つ
餌を差し出すわが手にも
鳩は止まりて餌をついばむや
白き鳩のみ知るらむわが思い
われ鳩を見るごとく
願わくば神よ
人を慈しみ給え
(1987年2月21日)


      妖精
ケーブルカーの中は立体的なジグソーパズル
君との僅かな隙間が埋められない
こんな高い山に登ったのも
ここまで来れば
過ぎ去った想い出が見えると思ったから
ほら、片瀬の海で君と私が歩いているのが見えるでしょう
でも、貝を拾って来ると言って
渚に消えた君の姿とともに
春の霞の中に
海は隠れてしまっている
山はまだ冬の名残をとどめて
白い雪が残っているというのに
あの滝に向って一緒に歩いてゆく
君の足どりは妖精のように軽やか
そう、君は森の妖精
どこまで行っても滝の音は聞こえてこない
滝の水も枯らして私をからかう
「どこに、滝があるのよ?」
ケーブルカーの中は立体的なジグソーパズル
君との僅かな隙間が埋められない
(1987年2月10日)


      音楽
外部から来るものでありながら
言葉を介さずに
私の心の奥深い内部と手を取り
私の精神を守るもの
ひととき、私の命とともに流れ
心の奥底では
一体であることをほのめかしながら
時の流れの中に横たわり
消えてゆく
そして、私を再び孤独へと突き放す
この孤独は精神の孤独であり
母なる精神からの孤立である
音楽よ
お前はどうして終わらなければならないのか
そして、命も
それでも何かが永遠に漂い流れ続ける
(1987年1月30日)


       幻想
木枯らしが吹いてくる晩秋に
小さな島にある塔に登る
打ち寄せる波の音も遠く聞こえない
太陽に向い立ちすくむ
光が海原に黄金色の道を刻み
彼方へと続いている
空と海の区別のつかない所へと
この道はまた、遠い昔の異国の森につながっている
その森の木洩れ日の落ちているところでは
白い彫刻が立っている
光に霞む目
やがて輝く道に幻惑された目は
かろうじて貴女を認め、気づくのだ
貴女と語らっているということを
そうして貴女は私の心を覗き込み微笑む
(1986年11月30日)


      梅雨明け
梅雨明けの予感
薄明かりの喫茶店
ジャズの濁った和音が暖かく漂う
時は止まり、失われた時が
やり場もなげに駆け巡る
紅茶の苦味に慰めのジャズバラッド
知ることもできぬ遠い昔への
思いも届かぬノスタルジア
もの憂い午後の夢
(1987年7月6日)


      昼の夢
訪れをためらう今年の夏
くすぶる雨の中
オートリバースのカセットから
エリントンの甘い曲が
繰り返し流れる
Prelude to a kiss
僕は君を想う
霧雨に霞む公園の緑の中に
陽炎のように立ち昇る君の幻
夢の中に君を追う僕の影
けだるい昼の夢
(1988年8月15日)


      噴水
あまりのまぶしさに
木の影に身を隠す
すると冷ややかさの中に
木々の葉とともに全ての存在が輝き出す
ささやかな光が光の中に隠れている
飛ぶ鳥の周りを
声をあげて
噴きあがる水の彫刻よ
お前は光の中の白い光
あまりに受容的な水の
常に姿を変えねばならなぬ
形のない彫刻よ
誰もお前を捉えることはできない
ただ理由もなく音と形の脈動を繰り返し
その姿をひととき輝かせ揺らめく水面へと映す
そのとき、それを支えるものはもはやなく
すみやかに、不安と祈りの形姿として帰ってゆく
それを生んだ源へと
(1986年11月23日)



    想い出
想い出は
今宵
追憶の彼方で
言葉の結晶となり
心の海に深く沈む
ひとつの隠された化石


     当然のように
当然のように
雨の中、二人は出会う
ひとすじの髪の毛の端が
あなたの瞳の上をかすめ
柔らかい光を受けて
一粒の涙のように輝く
すると
あなたの心の海に溶け込むように
そして、雨のように
完成されることのない、この生の不安は
静かに消えてゆく


     新年
冷たい澄んだ空気の中で
決心をする
正しく生きよう
新しい年の訪れ



     ある秋の日に
秋の晴れた日の空と海は光の輝きの中
それはギリシャ神話の初めよりロマンティック
波は静かに寄せる
こころをおびやかしもせず
寒さ知らずのウィンドサーファー
空を横切る鳥の群れ
人は少ししかいないけど
秋の浜辺を愛する人はどんな人?
海辺のカフェの軽い食事
学校を抜け出したカップルが二組と少年が三人
まるで青春グラフィティ
微笑みと笑顔
追憶と感傷
ドライカレーの辛さに
キャロットジュースの甘さがまろやかです


     遠いあなたへ
かの時には言葉にもならず
心の奥の大切な気持ちは今も胸に残っているが
今、やっと言葉になろうとする感情は
それを口にする機会も与えられず
返事も来るはずのない手紙を書き続ける
かつて私たちの内側からやっとの思いで出てきて
私たちを優しくつつみ
私たちを越えて消えていった
言葉一つ一つに
もっと敬意を払うべきであった
雪の重みに耐えかねて折れていた山の木の
枯れた色を眺めながら
聞えてきた老人の歌は
私たちが長い間、単に
実感できない現実を物語っていた
私はあなたの前で自分を限定しなかった
あなたは、やがて、
忘却の彼方に
私の真の姿を思い浮かべることなどあるだろうか


     明日
30年以上前ともなれば
誰がなんと言おうと懐かしいものだ
少年の日の憧れは今宵夢となる
4月のパリ
ニューヨークの秋
スペインの夏の夜の星
アンダルシアの太陽と風と砂
夢のなかの彷徨
ギターをつまびけば
あの娘を思い出す
まるで昨日のようだ
思い出の若き頃
父の青春
母の青春
それらがあったことにさえ
何故か悲しみを覚える
されど、今友がいれば
語れるかもしれない
明日のことを
いや、それは馬鹿げたことだ
捨てて、捨てて、捨ててしまうがよい
失うものがなくなるまで
捨ててしまうがよい
明日のことに思い煩うな
僕は自分のダンディズムを
音楽に託すだけだ
それだけに生きよう


     初夏の風
五月の空を初夏の風が流れる
もうすぐボサノヴァが似合う季節
それでもなぜか気分は
ボサアンティグア
ドリス・デイの歌に耳を傾ければ
もうこころはノスタルジック
Darn that dream
You go to my head
Day by day
無関心な時計の音
計算機の本が無表情に私を見つめている
ああ
そんな日が来るのだろうか
全てが懐かしい日


     人生
子供よ遊べ
風よ吹け
枯れ葉は散って
気が付けば
既に冬


 
     僕の誕生日
母が風になってしまってから
時は止まったまま
永遠の中でワルツを紡ぐ
ピアノを弾く
リコーダーを吹く
仮想電脳空間の友から
誕生日のお祝いが届く
自分でさえ忘れていた記念日
秩序なきところに秩序を
生きることは辛いこと
でも、今日
時が僅かに動いた
そんな気がした



     色褪せた記憶
今ふとあなたの気配に目覚めます
私たちの時はいつだったのでしょう
しかし、あなたはいます
そして、私もいます
同じように雨垂れの音を聞きながら
そよ風は溜め息のように吹き起こり
もう遠いはずの二人の間をまだつないでいます
物憂い冬の日の錯覚に
軽やかにわきあがるなつかしさと
かすかな甘い期待は喜びへと変わってゆきます
これ以上なにを望みましょう
しかし、私たちはどこまでいるのでしょう
そして、私たちはいつまでいるのでしょう
同じように色褪せてゆく想い出を抱きながら
喜びが悲しみで綾なされてゆきます
喜びが不安で綾なされてゆきます
私たちの時はいつまた来るのでしょう


     私のメルヘン
それは確かに秋の日でした
ふたりは海のささめきの中にありました
あなたは風に刻まれた岩に座り
行こうとする私を引き止めるのでした
そして、
あなたは父親をそしりながら
その語る表情は愛情に満ちているのでした
そんなあなたを好ましく思いながら
あなたの存在に心をひたすら傾けているのでした
ただ、動かぬふたりの関係と
限りない安らぎがあるばかりでした
冬に向かって弱まり行く秋に日の光は
そんなふたりに不思議な温もりを与えているのでした


     永遠
この私の命は一瞬なのです
でも、この秋の光のなかで
この一瞬が永遠であることを知る時
私の心にはささやかな平安が訪れるのです


     あなた
目を閉じれば白い部屋
あなたがピアノに向かっています
外は雨
窓ガラスを伝わる雫が悲しげです



     向日葵
教会があり、保育園があり、
人の歩み行く並木道があり、
子供らがこの夏を
無事に過ごすのを見届けると
やけに背の高い向日葵の花は
秋を知り
自ら、頭を垂れるのです
それは敬虔な祈りの姿
そう思わせるのは
昔日の教会での日々
あの絵葉書に描かれたモスクでの老人の敬虔な祈り
道行く人々の追憶がふと形になったもの
リルケの神様の話
そうかも知れぬ
確かなことは
人々の想いを担って
来年も向日葵は花を咲かせること
多分、今年よりもいくばかりか明るい花を
フロッピディスクから出てきたような彼女が
明るく挨拶をする
「おはよう!」


    横顔
優しげなる横顔の
憂いを帯たる横顔の
美しき横顔の
弱々しき横顔の
遠き横顔の
かの人に会いたる前に
完成されていた追憶


    しゃぼん玉
どこからともなくシャボン玉が
ふんわりと飛んでくる
子供の夢が飛んでゆく
玉虫のように色を変えながら
それは子供の瞳
素直にまわりの世界を映して消えてゆく
全ては過ぎ去る
しかし、祈っておきたい
想い出だけは消えはしないと
心の中にしまい込まれ
きっといつか花を咲かせることを
そして死が静かに訪れるとき
ひとりの天使がそっと
その実を刈り取ることを


    学問
学問の王道なし
数学を知らざるものこの詩を読むべからず
ゲーデルの不完全性定理を知らざるもの
この詩を読むべからず
熱力学に従わざるものなし
統計力学も力学的な熱力学の証明
何故フロイトはエネルギーを語りエントロピーを語らないのか
エントロピーは時間の矢である
それは死の予感である
ああエロスとタナトスよ
カラテオドリーの定理
花の名と北欧の神々の名との区別もつかない
若き日より
理解されぬために努力を重ねた
自然形而上学者は不幸な定めにある
アインシュタインの形而上学は幾何学である
点、線、超曲面は実在しないが、
それを観念できぬものは不幸である
時空は人間が存在しなくとも実在するだろう
ゆえにそれは脱構築不可能である
神は人間が考える程人間くさくはない
万物は多次元の超曲面である
それを予見したければ偏微分すべし
その総体を知りたければ積分せよ
されどそのすべはない
ポアッソンの方程式は解けないのだと
それを導出してから、大学教授は笑った
しかし、カタストロフィの理論があったっけ
ああ我が春はまだ遠い
ディオニッソス、アポロンは花か
ミモザ、リラ、ビバーナム、チューリップ、水仙、ラナンキュラス、バラ、フリージア
これらは春の神々か
今宵の月は言葉か物か
象形文字に鳴れた目に英語は難しい
時折通り過ぎる想い出は懐かしい追憶の彼方へと私を追いやる
昨日は、人生観は哲学の問題だと言って、外人教師を喜ばせた
知を喜ばないものは居るのだろうか


    春の最中に
桜の花が身にしみて美しく感じられるようになった頃から
春がくると
公園を何度も往復し
桜の花が散るのを惜しむ
友人もいず、ただ
永遠の中に一瞬を感じるために
桜の花の複雑な軌道の錯綜の中を
一人歩いてゆく
孤独な老人に出会えば声をかけたくなるような
そんな春のひととき
セラミックの特性を支配していた超曲面が
懐かしく頭をよぎる
全ては幾何学に還元できるのではないかとふと思ったりする
一片の花が散るとき
人の命を思う
時の流れを感じる
不幸な論理である排他的論理和を計算すれば
それはひどく非線形で
ただ微分できることだけが幸いである
得られたものはただそれだけであったか、いや
グリーンスリーブスの旋律はドリアンである
そう思う時
まだ可能性を感じる
理論とは生成理論であらねければならない
ビル・エヴァンスのダンディズム
ポール・デスモンドのユーモア
デーブ・ブルーベックのリリシズム
これらを在らしめる動的生成運動
万物が再生する春にこそ確認されねばならぬ
「不思議の国のアリス」の旋律に踊るこころに
「ワルツ・フォー・デビー」の旋律に流す涙に
春の宵に綻び始めた桜の花は
吹く風に顔をそむけつつ
美しく、悲しげに
はらはらと石の上に散り始める
しかし、それはまだ春も半ばのことである


     少年の夏
爽やかな夏の風
氷をいれたグラスの表面に結ぶ露
朝早く
公園に降りた露が
綺麗に緑を蘇らせていた
それは少年の夏休み
解ける氷が音をたてる
グラスを伝わる水の雫
そっと指でたどってみる
それとも、もういっぱいアイスコーヒーでもいかがですか
風に揺れる白いカーテン
僕の部屋は夏の空気に包まれる
僕たちは海岸へ出かけるところだ
ドビュッシーの音楽が流れる永遠の昼下がり
この瞬間を何に喩えよう
期待と夢
突然の雨
でも、もうすぐにあがる
雨上がりの虹
氷も解けてしまった
さあ、皆ででかけよう


     心
春が来て綺麗な花が咲くように
私の心も豊かであればいい
夏の日の晴れた青い空のように
私の心も大きければいい
秋の日の柔らかな光のように
私の心も優しければいい
雪の降る夜のしじまのように
私の心も静かであればいい
春が来て
夏が来て
秋が来て
冬が来て
私の心も幾たびか四季を巡り
あなたの心と出会えればいい


     木曾路
閉ざされた山に囲まれた町
細かく分岐した川の
いくつもの旧い木の橋を渡る
おびたたしい程の数の美容院
女たちは着飾り
道行く旅人を見つめる
この土地の過去を引き継いだ
秘めやかな眼差しに
キャサリンの笑みの浮かぶイメージを受け止めて
旅人はやがてこの町を立ち去ることになる
旅人は
学者のようにこの町のことを尋ね
かつて訪れた町のことを語る
それは夕暮れも近き黄昏時
山々は星空よりも暗く
ミネルバのふくろうの鳴き声の聞こえる頃
旅人の言葉にも
女たちは決して
この町を出ようとはしなかった
旅人の馬は
馬酔木の白い花を食べてしまっていたが
女たちは笑みを浮かべるばかりだった


     夢
天使が人に恋すると人になるように
人に恋した狂人は何になるのだろう
僕はまた夢のなかで過去を救い出そうとする
思えばあの狂おしい日々
僕はなにを追い求めていたのだろう
人を愛するには
あまりに若すぎた頃に
しかし
これは運命だろうか
神の摂理だろうか
あれほどばらばらに見えたものが
ひとつの繋がりとなり
全ての偶然は必然となる
あらゆるものは一点に収束し
喜ばしき日が訪れ
そして、僕はまた夢を見始める


     海
晩秋の海、それは
静寂の海
沈黙の海
夢の中にだけ出てくる海辺の家
玄関のところで傘をつぼめるあなたの姿
夢の中でだけ出会えるあなたと私
ここの賢い犬は
子供の頃、私の友達だった
語らいの中で時折わきあがる波の音は
私たちを祝福してくれる
誰も現実の中でだけは生きられない
勇気を与えてくれる音楽、そして


優しく迎え入れてくれる心の故郷
大きな海


     小春日和
こんな小春日和の日には
近くの公園に出かけて
日向ぼっこをして
過去のことや未来のことを思うのさ
過去もそんなに悪いこともなかったけれど
よいことというほどのこともなく、それでも
何故かとても懐かしい
そうすると
なんだか明日は良いことが起こりそうで
僕は幸せな気持ちになる
そうさ
僕は微かな甘い予感に生きるのさ
この美しく木の葉色づく秋の日に


     追憶
眼鏡の奥から
半ば車外の景色へ
半ば夢の中に
うっすらと窓へ
その横顔を映しながら
柔らかな優しさに満ちた眼差しを
どこえともなく投げかける人に
私の目は釘付けになる
限りなく遠い人の美しい弱さに
私の心はやるせなく重く沈んでゆく
この想いはあの人との半年の日々への追憶か
いや、この追憶は
それより以前に既に完成されていた
また私が私を笑っている


     祈祷会
さながら異邦人のように
異なるしきたりの中に
ささやかな存在の足場を求め
拙い表現の祈りの中に身をまかせ
虚ろなまなざしを周囲に投げかける
信仰せられる神、遠い神、隠れた神、証明不能な神
信仰の不確実性を確信しながら
懐疑のない祈りに耳を傾ける大いなる矛盾よ
ああ祈りはながれ
をみなごに祈りはあふれ
聞く人の心静かなれば
しめやかに水曜の夜は更けゆく


     悲しみ
ラベルの音楽を聴きながら
全てが淡くかすんでいく
音楽だけに開く心
うぐいす色の海を覆う雲は、いつも
黄金色の水平線までは隠さなかった
あの人々は
過ぎ去っていった人々の誤解と私の稚拙さ
私たちに悪意などなかったのだろう
そう信じて目は閉じ頭が垂れる
今はただ深い悲しみだけが...........
音楽にだけ開く心
誰にも悪意は無かった
きっと


     知識
たとえ、全ての知識が与えられたとしても
それでも尚、
神秘は失われない
君はそう思わないか
今は全能の神でさえも
探求の道を終えていないのかも知れない


     光
あなたがいて
僕がいた
あんなに近くにいて
僕たちはお互いが見えなかった
今、僕は気づいたんだ
ああ、あの時、僕たちにはなかったと
少しばかりの勇気と
愛という光が


     メロディー
こころの海の底に
想い出という化石となった
凍った言葉の結晶を
アルコールで暖めてみれば
夢のようなメロディーが
溶け出してくる


     秋雨
金木犀の香りが昨日漂っていたと思ったら
今日は秋雨が降っている
眼をつぶると
雨が屋根にぶつかる音や
車のタイヤの音が聞こえてくる
しばらくすると
元気だったころの母のことが思われて
僕は悲しくなった


     曲がり
自然という存在はどうしてこうも曲がっているのだ
空間も重力で曲がる
あのセラミックの特性曲線の曲がり具合ったらなかった
これ程の曲がり具合は
ミロのビーナスも適うまい
真っ直ぐな、鏡のような心にしか映るまい
心よ、せめて
変なふうに曲がらないでくれ
正直に世界を映してくれ
ああ、高く大きな秋空よ


     一瞬
一瞬よ止まれの
この一瞬を捉えるのだ
言葉で、
音で、
絵で
捕らえられた一瞬は
永遠の平面に投射され
永遠の命を得る
うららかに
心にわきあがる
一つの数学的概念


     落ち葉
赤や黄色に色づいた落ち葉たちは
公園の地面をカーペットのように敷き詰める
その上を子供たちが走り回る
風に舞い上がる落ち葉は
秋の光を受けて
時折、宝石のように輝く
この宝石のような落ち葉を集めて
あのひとに捧げよう


     永遠
ふと立ち止まり
綺麗な花に見入るように
僕は人生を生きている
僕の生はテロスに達している
全てを放棄した人に時間は流れない
無時間性に生きる時
人は永遠に生きる
僕はただただ自分の人生を鑑賞する
この人生は思いのほか美しい
僕はもう死んでしまった
だからもう死ぬことはない
ただ永遠を楽しむだけだ


     赤い風船
明日は立春だというのに
今日は雨の降る寒い日です
子供の手を離れた赤い風船が
冷たい風に吹かれて
横断歩道を渡って行きます
車に轢かれるな、風船さん
自分の意思も持たず
風に吹かれるまま
この私も
何も望まず、明日のことに思い煩わず
運命に身を任せ
生きて行くひとつの風船
運命は神が巻き起こし、万物を動かす風
それでも、私は
明日には、少しピアノが上手になっているのでしょう
それは、ささやかな小さな希望
風に少し逆らってみたい家路の途中


     心変わり
私はもう知らない
人がなぜ笑っているのかを
そして、私は知らない
人がなぜ泣いているかを
きっと、私がアインシュタインや相対性理論といった言葉が好きなように
彼らはフロイトや無意識といった言葉が好きなのだろう
それは、人それぞれ
所詮、皆生きている世界が違う
全ての人々とうまくやっていくのは
とても不可能なこと
今まで人目を気にしていたのも
彼らを尊重してのこと
しかし、それはもう止める
いくらやっても無駄だった
少し後ろめたい気もするが
私は宣言する
私はもうあなたがたのことは知らない


     こころ
喜びと悲しみと
楽しみと哀しみと
愛と憎しみと
時には怒りでさえ
ただ見つめてさえいれば
それらは静かに消えて行く
やがてこの私も消えてゆき
静けさの中に
音楽が溢れ
存在を微かに震わす


     想い出
シャガール
緑と赤と空飛ぶ人
幻想
女のたわごと
気をつけよ
単純で理解しやすい話に
シャガールが絵の中に愛を入れたと?
表参道の古いアパート群
ここを通ると
自分の知らない想い出があふれてくる
これは母が持っていた記憶の欠片か
何故か母のことが今は思い出せない
今私は公園にいるのだろうか
目の前にルソーの絵のような風景がある
鳩や名も知らぬ鳥の群れ
噴水の音
人々の戯れ
私たちはこんなに近くにいながら
決して語り合うこともないのでしょう
冬に咲くすみれの花
子供の声
冬でも緑の常緑樹
私は祈った
神よ私を見出して下さい
母はどこへ行ったのです



      過去の到来
未来は私たちを待っていやしない
しかし、過去は私たちを待っているのだ
私たちが成長し、過去を理解できるよう時熟するまで
過去は私たちを待っている
脈絡もない現在の経験は
ふと過去の記憶に結びつく
そして、私たちは過去の新たな意味を見つける
現在の経験も、
今の私たちには決して分かりはしないのだ
私たちは未来のためにではなく
過去を救い出すために時熟する
現在の経験とは過去の到来への契機なのだ
私たちは未来において過去の意味を発見するしかない
未来は何も知っていない
未来における過去の到来こそ唯一の希望だ



      伝えること
私が「私」という言葉を覚えた頃
私はまだ美しい田園風景の残っていた
東京の片隅に住んでいた
その当時の私には
私が生まれる以前から
こんなに美しい世界があったことが不思議に思えた
渾然一体となっていた世界と私が
その時に分離し
私は世界と対峙したのだ
やがて、私は気づいた
遠い昔から
この世界を先人たちが築き、守ってきたのだと
私は感謝した
ありがとう
もう、あの田園風景はもうないけれど
私も次の世代に何か残さないといけない
まだ間に合う
残っている美しい世界を
次の世代に残そう
私たちの先人たちがしてくれたように



      私を忘れる
曇天の梅雨空の下
緑を愛でながら
何も考えず
ひとり自転車を漕ぐ
息を数える
人影疎らなれば
ふと
私は私を忘れる
それは
静けさと安らかさの訪れ


      後悔
あの日
母を傷つけてしまった
それが悔しい
それが悲しい



      父母
幼き日
母がいないと泣いていた
父の足に絡まって遊んでいた
そんな父母が死んでしまうなんて



      老眼鏡
老眼鏡を掛けるようになってから
周りがよく見えなくなった
その分、気持ちが楽になった
不思議だな



      願い
見ているだけで気持ちの良くなるお坊さんを見たことがある
禅僧のように颯爽と仕事をする男のことを覚えている
本当に気持ちが良かったな
何も言わなくとも人を癒せる人に私もなりたいな



       万物
万物はロールシャッハの染みのようなもの
人は万物を見ているようで
実は自分の心を見ているだけ
万物を語るようでいて
自分の心を語るだけ




荒井公康
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kimmusic/
http://kimiyasu-arai.at.webry.info/

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
とてもお母さん思いな方なのですね。やさしいのですね。
タムラブ
2015/08/14 04:02

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荒井公康短歌集及び詩集:「母の想い出」その他 日記帳/BIGLOBEウェブリブログ
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