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zoom RSS 落語と哲学・宗教・言葉・論理・数学(蒟蒻問答:漱石の夢十夜:モデル理論)

<<   作成日時 : 2014/04/06 02:54   >>

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【「蒟蒻問答」】

 落語には哲学的なところがあるものがある。それは、「蒟蒻問答」という題の落語である。
 安中在の無住の寺に、流れ者が、世話好きな蒟蒻屋の薦めで、住職になって住み込む。このにわか住職は、道楽者のなれのはてで、経一つ読むことすら知らないのだが、別に葬式もないのを幸いに、毎日、下男を相手に、酒を飲んで暮らしている。そこに、旅の禅僧がやってきて問答を申し込む。問答に負けたら寺を乗っ取られると聞いて慌てたにわか住職は、「住職は別の人間で今は留守だ」と言って旅の僧を一旦宿に帰し、蒟蒻屋に住職に化けてくれと頼み込むと、仏教については何にも知らない点では同様の蒟蒻屋が、大胆にも引き受ける。
 翌日、再びやってきた旅の僧がいくら問を重ねても、蒟蒻屋の化けた大和尚は黙っている。「さては無言の行だな」と思った僧が、それではというので、身振り手振りで問をしかける。すると、今度は蒟蒻屋も、身振り手振りで答を返す。それが一々肯綮にあたっているものだから、旅の僧はすっかり恐れ入り、「われらの遠く及ぶところではない」と退散する。これだけでは、まことに不思議な話ではあるが、これには言葉による絵解きがある。
 例えば、僧は、指で小さな輪を作って示す。すると蒟蒻屋は、大きな輪を作って見せて答とする。これを、僧は、「日の本は」と聞いて「大海の如し」という答を得たものと解している。しかし、蒟蒻屋の方では、「お前のところの蒟蒻はこんなに小さいんだろ」と聞かれたと思い、しゃくにさわって、「馬鹿をいえ、こんなに大きい」と答えたつもりだったのである。次に、僧は、「十方世界は」と聞くつもりで両手を拡げて差し出したところ、片手を拡げて見せられたので、「五戒を保つ」と答えられたと考える。蒟蒻屋の方は「十丁でいくら」と聞かれて「五百」と答えたつもりである。最後に僧は、三本の指を出して「三尊の弥陀は」と尋ねたつもりだったところ、右の人差指を眼の下にあてた答、即ち、彼の解釈では「眼の下にあり」という答をもらって、すっかり敬服してしまうのである。蒟蒻屋の方では「たかいから三百に負けろ」と言われたととり、けちな坊主だと腹をたて、あかんべをしてやったつもりなのである。
 この場合には、第三者には、この絵解きがあるが、僧と蒟蒻屋とは、おたがいに、相手をまったく誤解したままで別れたのである。それでも一方は、「良い教えを受けた」と喜んで次の旅に出立したのであるし、他方は、「うまいこと、言い負かしてやった」とご機嫌だったのだから、話はハッピー・エンディングになっているわけである。
 これは、身振り言葉の場合であるが、実は、話し言葉の場合にも、同じことが起こりうるのではないか。こういう疑問を誘うところが、この落語の哲学的なところなのである。実際、汽車の中で乗り合わせた人の一方が、能の話を始めたところ、相手は終始一貫、それを農(業)の話だと思い込んで調子を合わせていたという実話がある。
 虎を描いたつもりの絵が他人には猫に見えたとか、椿を描いたつもりの絵が他人には苺に見えた、とかいった話もあり、絵を見せてそのモデルを察してもらおうと思っても、誤解を招くことがある。
 モデル理論の教えるところから、実は、言葉のモデル、つまりその表現内容を一義的に決めるのは、不可能な場合が多い。このことは、別に困ったことではなく、数学が多方面で応用されるのは、言葉の持っているこの性質を利用してのことであることも少なくないのであるが、このことから、哲学上の諸問題にとって重要な結果が導かれる。
 なお、言葉の持つこの不確定性ともいうべきものには、禅の方でも早くから気づいていたようである。そこで、言葉によって教義内容を固定することを排し、「不立文字」などというのであるが、それにも拘らず、禅僧は問答を好み、その結果、勝ったの、負けたのといって大騒ぎしている。「蒟蒻問答」は、禅における、このような風潮への、皮肉にもなっているのである。
 禅も宗教と言われるが、日本では落語家からもこのように茶化される始末なのである。これも無宗教を基本とする日本人の特徴というものが、よく伺われる話である。今現在、如何に軽佻浮薄な民族が日本を跋扈しているかの証左であろう。まぁ、時間の問題であろうが。日本人が目立たないからといって、侮るのはいい加減にしたほうが良かろう。目立つから多数派と思うのは勘違いというものである。これは、日本ばかりではなかろう。出る杭は打たれる。目立つ奴らは目立たない人間に始末される。歴史は繰り返す。前例がある。「白鳥朱鷺に帰す」という言葉が日本にあることを忘れないがいい。


【漱石の「則天去私」(「夢十夜」より)】

 明治の文豪・夏目漱石(1867〜1916)に「夢十夜」という作品がある。一夜ごとの夢の話10話を集めたものだが、その第二夜は、「悟り」を開こうとして呻吟する侍の話である。悟りを開こうとするが、なかなか開けない侍。雑念ばかりが頭のなかをよぎる。あげくには、和尚にからかわれる。

和尚曰く
 「お前は侍である。侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚が言った。そういつまでも悟れぬところをもってみると、お前は侍であるまいと言った。人間の屑じゃと言った。ははあ怒ったなと言って笑った。口惜しければ悟った証拠を持ってこいと言ってぷいと向こうをむいた。怪しからん。」

 侍は決心する。置き時計が次の刻を打つまでに悟って入室し、この「悟り」と和尚の首を引き替えにしてやろう、と。悟れなければ自刃しよう。侍が辱められては、生きていけない。だが、無情に、時は過ぎるばかりである。和尚の声が聞こえる、「−−州曰く無と」。侍は焦る、「無とはなんだ、糞坊主め」と。和尚の嘲笑った声が聞こえてくる。侍は、ますます和尚が憎くくなる。

侍曰く
 「悟ってやる。無だ、無だと舌の根で念じた。無だというのにやっぱり線香の香がした。なんだ線香のくせに。」

 自分の頭を殴っても、奥歯を噛んでも「無」は出てこない。侍は、腹が立ち、無念になり、口惜しくて涙を流す。出口のない、残酷な状態である。そのうち蕪村の襖画も、畳も、行燈もあってないように見えてくる。それでも、「無」は現前しない。
 話は、こう終わっている。

 ただ良い加減に座っていたようである。ところへ忽然隣座敷の時計がチーンと鳴りはじめた。
 はっと思った。右の手をすぐ短刀に掛けた。時計が二つ目をチーンと打った。


「父母未生以前の因縁を知れ」
 この言葉の意味が判らず、夏目漱石は禅寺を訪れる。山道を登る途中で僧に出会ったが、その僧は、「上に行っても何もありませんぞ」と言って、飄々とすれ違い去っていった。

これは有名な逸話であるが、ご存知であろうか。



【モデル理論】 (Wikipediaより引用)(これは明らかに日本人による記述であろう)
 モデル理論(英語: model theory)は、数理論理学による手法を用いて数学的構造(例えば、群、体、グラフ:集合論の宇宙)を研究(分類)する数学の分野である。モデル理論における研究対象は、形式言語の文に意味を与える構造としてのモデルである。もし言語のモデルがある特定の文または理論(特定の条件を満足する文の集合)を満足するならば、それはその文または理論のモデルと呼ばれる。モデル理論は代数および普遍代数と関係が深い。この記事では、無限構造の有限一階モデル理論に焦点を絞っている。有限構造を対象とする有限モデル理論は、扱っている問題および用いている技術の両方の面で、無限構造の研究とは大きく異なるものとなっている。完全性は高階述語論理または無限論理において一般的には成立しないため、これらの論理に対するモデル理論は困難なものとなっている。しかしながら、研究の多くの部分はそのような言語によってなされている。モデル理論は構文と意味の双対性と密接に関わっている。すなわち、モデル理論では対応する言語の統語論的要素の手段によって意味論的要素を分析する。ChangおよびKeisler (1990) の一ページ目を引用すると:

普遍代数 + 構造 = モデル理論.
モデル理論は1990年代に急速に発展し、より現代的な定義はWilfrid Hodges (1997) によって与えられた:

モデル理論 = 代数幾何学 − 体.
証明論と同様に、モデル理論は数学、哲学、および情報科学にまたがる学際領域に位置している。モデル理論の分野で最も重要な専門組織は記号論理学会である。

 モデル理論の不完全かつ幾分恣意的な下位区分として、古典モデル理論、群および体への応用、および幾何学的モデル理論がある。ここに含まれていないものに計算可能モデル理論があるが、これは論理学の独立した下位分野として見ることができると言っても良い。ゲーデルの完全性定理を含む古典モデル理論初期の定理の例は、上方および下方レーヴェンハイム-スコーレムの定理、ヴォートの two-cardinal 定理、スコットの同形定理、タイプ排除定理 (omitting types theorem) 、そしてリル=ナルゼウスキの定理がある。モデル理論が体へ応用された初期の結果の例は、タルスキの実閉体についての量化記号消去法、疑有限体 (pseudo finite field) 上のAxの定理、そしてロビンソンの超準解析の開発がある。古典モデル理論の発展において、安定理論の誕生が(非可算カテゴリー論 [uncountably categorical theory] 上のMorleyの範疇性定理およびシェラハの分類プログラムを通して)重要なステップとなった。この安定理論は、理論が満たす構文条件に基づくランクと独立性の算法を発展させた。この数十年で、応用モデル理論はより純粋な安定理論と繰り返し融合してきた。この合成の結果は、この記事では幾何学的モデル理論と呼ばれている。幾何学的モデル理論は、古典幾何学的安定理論と同じく、例えばo-minimalityを含むために利用されている。幾何学的モデル理論の例は、関数体についてのMordell–Lang予想のフルショフスキーによる証明がある。幾何学的モデル理論の目標は、純粋なモデル理論の研究において実際に開発されたツールによって、さまざまな数学的構造における定義可能集合の詳細な研究を行い、数学の地理学を提供することである。




荒井公康 記
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kimmusic/
http://kimiyasu-arai.at.webry.info/







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