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zoom RSS 気が滅入る、しかし・・・・

<<   作成日時 : 2016/09/29 16:43   >>

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 会う人もなく、毎日、家にこもっていると、気が滅入ってしかたがない。毎朝、川崎方面に自転車で出かけているのだが、運動量が足りないらしい。運動量を増やすために鶴見方面に40分ほど徒歩で運動することにした。また、自転車で午後から3度めの外出することにした。これだけ運動すれば、気分も爽快になり、そのうち気が滅入ることも解消するだろう。元気だから運動するのではなくて、運動するから元気になるのだ、という論理である。悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ、というではないか。
 去年、ビリー・グラハムの伝道集会に出席し、イエス・キリストを受け入れて以来、私自身も変化し始めた。第一に孤独が苦でなくなった。父・御子・聖霊がいつも一緒におられると感じられるようになり、寂しいという思いが消えた。神が私の中におられるのだから、何かあっても、耐えられるという確信が芽生えた。聖書やキリスト教関連の書籍もよく読むようになり、キリスト教がどういうものかだんだん分かってきたような気がする。ただ、もっと研究する必要がありそうだ。今は平安な気分だ。退屈でも、何事もなく、平安でいられるのが最良だろう。退屈もそれほど苦にはならない。
 暑い夏も終り、だいぶ秋めいてきた。外にいると金木犀の香が漂ってくる。蝉の鳴き声も消えた。両親がいたら、一緒に旅行に行きたくなるような気候だが、今となったら、過去の旅行の想い出に浸るしかない。ただ、悲しくない。とても懐かしい。
 高校生まで、私は優等生だった。東大に入ったが、周りは優秀な人ばかりで、東大での私は劣等生だった。駒場進学でも、底なしの工業化学科に進学した。その後、大学院修士課程まで進んだ。劣等生ではあったが、両親にとって私は自慢の息子であった。父も鳶が鷹を産んだようだ、と喜んでいた。私も両親の前では優秀な振りをしていた。しかし、社会に出てからは、両親の期待を裏切ることばかりであった。母は生前私が偉くなると思っていたと残念がっていた。私自身は偉くなればなったで大変だろうから、偉くもなりたくなかったが、母を落胆させ嘆かせたのは残念だった。
 この世の人生において、得られたものと得られなかったもの。持っているものと持っていないもの。普通の人にあって、自分にはないと思われるもの。そういったものに対する執着がしばらく私を苦しめていた。しかし、それが、神のみこころであり、全知全能の神のしもべに対する、最善の選択であり、恵みとあわれみであるとするならば、諦めと喜びの混じりあった複雑な感情と感謝の念を覚えずにはいられない。
 テレビも点けず、一人きりで部屋の中で何も考えずに瞑想していると、なにか永遠の世界に帰入していくかのような錯覚に陥り、不思議と平安で幸福な感じがする。仏様か神様に包まれているような感覚を覚える。孤独も寂しさも感じない。何もしないということも大切なのかもしれない。そして、自分の存在が何かに支えられているのを静かに味わうことも。自分が自分に与えられているという至福も。仏教の坐禅なのどの修行は、何もしない、何も考えない、という修練であるから、なにほどかの効果があるものならば、何か理由があるのだろう。キリスト教に坐禅のようなものがあるのかどうかは知らないが、先日、教会で黙想の時を持った。気持ちを整えるのと同じような効果があるのかも知れない。
 今日の朝、目が覚めると、またもや、何故か私は生きていた。もはや、何の役にも立たない、生きていても意味のない私を生かしているのは、神の怠慢ではないのか?自分の存在というものが私には本当に不可解である。じゃ、首を括って死ねばいいじゃないかとなるのか? 生きていても仕方がない私であるが、最近は聖書をよく読んでいる。私が生きて在ることの秘密が分かるかもしれないという、かすかな望みである。信、望、愛である。人間の愛は期待できなくとも、神の愛は確かなものだとしたら、この生は生きるに値するのではないか。たとえ、気休めに過ぎないにしても。私自身は、この世の人生において、ささやかな楽しみをまだ失ってはいない。ささやかではあっても、ひとりよがりであっても、その楽しみがあるかぎり、私は生きよう。その楽しみも神の賜物であり恵みなのだ。幸い、私の探求はまだ終わっていない。
 朝早く、川崎方面に行くと、通勤途上の人々が大勢颯爽と歩いているのが見られる。それを見ていて私も勤めていた時分が懐かしく思われる。思えば、人生の春だった。若気の至りで、めちゃくちゃな社会生活を送っていた人生であったが、それでも懐かしい。多くの人々に迷惑をお掛けしてしまったが、それでも、かばってくれた人もいたのは、今でも嬉しく思われる。あの日に戻れたら!また、やりなおせたら!もう、遅いが、老い先短い人生だ。先を目指して、着実に進もう。
 そりゃ、若い頃は、沢山の希望、夢、可能性があった。しかし、今となっては、それらは夢のまた夢。求めよ、さらば与えられん。しかし、年をとると、求める気持ちさえ起こらない。そんな気力さえない。仏教では、求めない心こそ悟りという。キリスト教との大きな差である。私が今欲しいものは、お金では買えないもの。会話、団欒、人との交わり。そういったもの。極めて家庭的なもの。すべて両親を亡くして失ったものである。
 想い出は思い出そうとして思い出せるものではない。それは、ふと受身になった時に、与えられる、といった感じなのだ。確かにそれは、暇を持て余した、未来のない、老年期の人に与えられる過去からの贈り物。いや、時空を超越した神からの賜物かも知れない。忘れていた意外な想い出は、もう未来のない人にとって、掛け替えのない贈り物。楽しい想い出には微笑みを、悲しい想い出には涙を。どんな想い出でも来るがいい。私はお前を歓迎する。
 私はどうしてこんな人生を送っているのだろう。どうしてこんな生活をしているのだろう。こんな、とは不満があるのか。自分が選んだことだろう?それとも神のご計画なのか?いずれにせよ、この人生、この生活を愛すべきであろう。そうしなければ、将来が見えてこない。この生の良さも見えてこない。死ぬも独り、生きるも独り、人の中にあっても独り。この孤独な人生、孤独な生活にもよいところがあるのを実感している。人間というもの、自分が持っているものよりも、持っていないものに意識が向きがちで、持っているものに対する感謝の念を忘れがちだ。すべて、神の賜物だというのに。今与えられている状況を吟味し、愛し、有効に生き抜くべきだろう。
 求めよ、さらば与えられん、か。今、アンドリュー・マーレーの「とりなしの祈り」を読んでいるのであるが、この本を読むと、私の人生には、いかに、願いと祈りが足りなかったかと痛感する。私はクリスチャンではなかったので、やたら何かを求めるのには、罪悪感もあったし、みっともないことだとも思っていたのだろう。一流大学を出て一流企業に勤めるというところまでが私の望みであった。努力の甲斐があってそれだけは実現した。しかし、それ以降は、意欲も望みも目的もなく、だらだらした人生になってしまった。私には強く求めるということができなかった。この年ではなおさら求めるものも限られてくるし、なにしろ欲がなくなってしまった。金銭面に自信がなかったのと、自分の性格からある程度自分の人生も予測できたので、結婚も諦めた。ただ、こんな人生もある程度予測していたので、それほどのショックでもなかった。人生、諦めが肝心といったところが私の信条だろうか。なにやら情けなくなってきた。結局、高校時代や受験生時代が懐かしくて、勉強したいだけなのだ。読書量は増えるばかりだ。英語の辞書を調べれば、高校生の気分が味わえるし、若返った感じで、うきうきすることもある。
 キリスト教の核心に祈りがあるのは事実だろう。私はうまく祈れないのであるが、そんな場合でも、聖霊がとりなしてくれ、替わりに祈ってくれるという。
 もし、キリスト教が普遍的な一神教だとするならば、神の愛はクリスチャンばかりでなく、すべての人類に及ぶのではないか。これを否定することは、キリスト教を一種のローカルな宗教と見なすことであり、キリスト教の普遍性をも否定することだろう。クリスチャンがノンクリスチャンを否定すれば、自己否定に陥り、社会に軋轢を生むのではないか。社会はクリスチャンだけで成り立つわけではない。独自性を失うことなく、他宗教との協調も必要だろう。そうでなければ、自分と違うものは何でも否定してしまう、という狭隘な立場に陥るだけだろう。
 最近のキリスト教のイメージは「情熱的な信仰を持って、執念を持って祈り通す宗教」といったものだ。以前は、もっと静かで穏やかなイメージを持っていたのであるが、教会での祈りを聞いたり、アンドリュー・マーレーの本などを読んで、認識を改めるに到った。涅槃寂静を目指す仏教とは違うようである。どちらがいいかということではなく、年配の私にはキリスト教についていくのが難しい。そんな気力も情熱もなくなってしまった。元気がなくなってしまった。
 キリスト教の核心は「信仰、希望、愛」にあり、そのうち最も大切なものは「愛」で、神と隣人を愛することが教えられています。その愛(アガペー)は自己犠牲の愛、他者実現の愛であり、必ずしも個人の幸福に繋がるとは限らないが、お互いに愛し合うことも教えられており、その時に天国が現れる、ということでしょうか。






to be continued...........




荒井公康
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kimmusic/
kimi1955-music@kir.biglobe.ne.jp




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内 容 ニックネーム/日時
はじめまして
何をもって生きていても仕方がないと仰るのか。たくさんの才能に恵まれて歩んで来られ、世の中に大いに貢献されたではありませんか。生きていても意味のない私、とは。素晴らしい人生を歩んで来られ周囲の方々に啓発を促して来られたのは凡人には出来がたい事と賞賛致しております。どうか御自身の存在を認めてあげて下さい。そして、必要だからこそ、今ここにいるのだとお考え下さいませ。
真萩
2016/10/18 14:01
真萩さん、心配させてごめんなさい。孤独な老人の泣き言とお許し下さい。真萩さんのような読者がいるとは思ってもみませんでした。アクセスしてくれる人はいるのですが、コメントまでしてくれません。真萩さんのお言葉に勇気付けられました。ありがとうございました。頑張って長生きします!
きみだんご
2016/10/18 15:25
神のアガペに見守られながら迷える子羊たちはストロゲー、エロス、fィリアを求め与えながら長い道のりを歩む。いにしえでは「遊びをせんとや生まれけむ・・・」と人々の心情を捉えて歌われた。これからの人生、御自身のお心のおもむきを尊重され―、労わられて無理せずに頑張って下さいませ。
真萩
2016/10/20 11:02
はい、わかりました、真萩さん。ありがとうございます。頑張ります。でも、年をとると寂しいですね。親類縁者と死に別れたり、多くの人たちとも疎遠にありますし。両親もいなくなってしまったので、今度は私の番です。自分が死ぬのは怖くないですが、親しい人が亡くなるのは辛いですね。残されたほうが大変ですね。
きみだんご
2016/10/20 16:57
こんにちは 前文fィリア→フィリアと訂正します。失礼しました
次は私の番だと、何故お決めになるのか、切ないですね。一寸先は闇と言うではありませんか。神のみぞ知るとはどう言う意味ですか。必要だからこそ今ここにいる、と思って下さいませんか。「生ぜしもひとりなり 死するも独りなり されど人と共に住するも独りなり そいはつべき人なき故なり(一遍)」ああ、何と研ぎ澄まされた奥の深いお言葉!如何思われますか? ズシンと寂寥感に駆られたが反芻すると皆等しく独りなのだと思いやれた。意識も確か体も動けるきみだんご様、御自身の才能を基に喜怒哀楽を大いに楽しんで下さいませね。武運長久を祈ります。
真萩
2016/10/21 11:50
私は健康ですが、もう元気も気力もないんですよ。一編の言葉は素晴らしいと思います。しかし、私はただの凡人だし、孤独もただ嘆くだけです。一編みたいに達観できません。せめて、世間に迷惑をかけずに、老い恥をさらさないように生きていこうと思うだけです。
きみだんご
2016/10/21 12:41
美味しい物を沢山召し上がって元気を出して下さい。一遍の言葉は私たち凡人に啓発をして救済をしますが、御自身もブログを通じて読者に何かを考える為のヒントや随筆を読む楽しみ等を提供し癒して下さっています。御自身の余りある才能に尊敬の念をもち、ブログなるものに生まれて初めてコメントした次第です。決して独りではないはずですから悲観することなく、自信をもって生きて下さい。因みに私も同年齢の者ですから年齢の抱える問題には共感するところは多々ありますので遥か彼方(宇都宮市)からエールをお送り致します。がんばって下さい〜〜
真萩
2016/10/21 14:40
そうですね、若い頃みたいに、無茶食いはできないですが、美味しい物を食べたいですね。コメントに感謝します。エールにも感謝します。真萩さんのお陰で、少し元気が出ました。ありがとうございます。
きみだんご
2016/10/22 06:30

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