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zoom RSS 一心三観

<<   作成日時 : 2016/12/28 10:19   >>

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 一心三観とは、天台宗の瞑想法の一つで、あらゆる事象が相対を超えた仏教の絶対的真理にかなっていることを体得することを言う。現象世界を否定的にあつかう空観、肯定的にとらえる仮観、この両者がともにそなわってはじめて真理を把握しうるとする中観の三観をひと思いに一時に観念することを言う。
 天台教学では、この世界の差別的現象(諸法)とその絶対的真実(実相)とのかかわり合いを空・仮・中という3方面(三諦)から観想する空観・仮観・中観を空仮中の三観という。空諦とはすべての存在に実体はなく空であるという真理である。仮諦とはすべての存在は縁起せるもので仮有であるという真理であり、中諦とはこれら空と仮との2面は不二一如である道理をいう。天台の究極の立場(円教)ではこの三諦は相互に別個のものではなく、互いに円融している(円融三諦)のであり、われわれ衆生の一念の心のなかに真理がとけあって実現していると観じる。
 空観とは、この世のすべてのものが、固定的な実体をもつものでなく、本質的には空であるとする立場である。仮観とは、あらゆる存在や事象には実体はありえず、空であると説くが、世俗的な相対的立場からは、それらは存在するものとして肯定的にとらえられる。その肯定的に捉える観想法をいう。中観は空観と仮観の両者がともにそなわってはじめて真理を把握しうるとする。
 円教は円満な教えの意。すべてが差別をこえ、互いにとけあい互いに完成すると考える天台宗において多く用いられる。
 円融三諦は完全にとけあっている三諦のこと。隔歴三諦に対する言葉。空、仮、中の三諦は天台宗において展開され受け継がれてきた独自の思想で、円融三諦とは、働きに応じて三諦の区別はあるが、その本体は一つで三者が互いに円満し合い融通し合って一諦がそのままただちに他の二諦であるという意味である。さらに一念の心がそのまま円融三諦であることを観じる天台宗の観法を円融三観あるいは一心三観という。





荒井公康
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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
新年明けましてお目出とうございます。一年の計はお決まりですか:) 般若心経の中に同じく「空」とあります。観音様が六波羅蜜(彼岸に渡る為の修行)を行った結果、心が煩悩を作り、その心(煩悩)が存在しなければ出世欲、物質欲等も存在しない。それらは存在すると思っているが実は「空」であって、心が存在すると認識しているにすぎないのである。そして、煩悩がなければ人生の苦しみさえも「空」であると説いています。つまり、人間は煩悩に縛られており、煩悩が不幸の原因や不幸の根本になっているのだと。人間の苦しみは、みんな心が生み出した幻のようなもので、その煩悩(苦しみ)は心が作り出すものだけれどその心もまた「空」であると。大変論理的ですね。色即是空、空即是色、色不異空、空不異色と般若(智慧)心経の中にあります。最澄の説く一心三観もほぼ同様ではないでしょうか。 では、今年は昨年よりも多少なりとも良い年になりますように。観音様には、この程度の煩悩ならお許し下さるでしょうね。


真萩
2017/01/08 13:05
あけましておめでとうございます。父母を亡くして、寂しさ、悲しさ、を覚えることも多かったですが、時が経ち、今となっては、それらの心の状態も実体はなく空であると思えるようになり、苦しさはなくなりました。今は楽な気分です。悲しみも寂しさも否定することなく、ありのままに受け入れて見つめていれば、自然に解消するものですね。煩悩即菩提ですね。
私の人生はある意味で終りました。今年を新たな人生の出発点にしたいと思います。小欲知足を心がけて生きていこうと思います。
真萩さんにとっても、今年も良い年になりますように、お祈り申し上げます。
きみだんご
2017/01/08 15:36
私の為にお祈り下さり有難く心よりお礼申し上げます  ご両親が亡くなられたとしても、きみだんごさんの中にはご両親が容姿のみならずお考え方や嗜好までを伝え、影響を与えて下さっておられると思うのですが。きみだんごさんの物腰をご覧になられた方はその有様を通じて生前のご両親のお姿をきっと垣間見るのではないでしょうか。それゆえ、亡くなってはいらっしゃるけれどもきみだんごさんを通じて生きておられるのではないでしょうか。私は父とは男女の違いだけで容姿も思考も価値観も趣味も大変似ていました。亡くなってから5年間位は無意識に「お父さん」と呟き、呼びかけておりました。なくなってはいるけれども私の中では生きているのでしょうから呼びかけていたのでしょう。最愛のご両親との思い出が必ずきみだんごさんを支え、激励して下さってらっしゃる筈です。そして
イエスキリスト様も共に傍らを歩んで下さっている。宗教には慰め励まされますね。新たな人生の出発にエールをお送り致します。どうかしっかり腹ごしらえをされて(笑)頑張って下さい〜〜、そして寒さの折くれぐれもご自愛くださいませ。
真萩
2017/01/08 20:32
今でも両親が夢に出てくることがあります。若い時のことが多いですね。両親は子供には苦労や不自由をさせたくない、というタイプでした。だから、この歳でお坊ちゃまに見られます。親のご恩ですね。私は生活力が弱いのですが、今生きていられるのも、両親のお陰だと思います。亡くなってもお世話になっていてご恩を感じます。今でも心配していてくれているのかも知れない、と時々思います。
真萩さんもご自愛下さりますよう。
きみだんご
2017/01/09 15:02

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