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<<   作成日時 : 2017/02/23 08:34   >>

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     三寒四温
 冬にはよく4日間暖かい日が続くと3日間寒い日が続き、また暖かい日が訪れるというように、7日の周期で寒暖が繰り返されることが起こる。朝鮮半島や中国北東部の冬に典型的な気象現象で、日本でもみられる。冬のシベリア大陸上に発達する高気圧が、ほぼ7日の周期で強まったり弱まったりするために起こるという。母とよく話したことには天候のことが多かった。
 きょうは2月23日。暖かい日だが、春に向かって季節が移り変わっているのは確かなようだ。私がよく訪れる南河原公園では、梅の花と河津桜が咲きほころんでいる。八重桜なども蕾が大きくなり春の予感を感じさせる。だが、家の前にある染井吉野は枯れ木のままだ。花の種類によって異なる感覚で春の訪れを感じとっているようだ。
 人生の冬にも時折暖かい春が訪れる。ブログに泣き言ばかり書いていたら、親切にも言葉を掛けてくれる人が現れた。哀れみ深い人のようだった。春の訪れだ。寂しさが消えた。泣き言に嘘はないが、今となれば何か恥ずかしい。男らしく雄雄しくない。もう泣き言を言うまいが、寂しくなりそうなのは辛いところだ。この複雑な気持ち分かってもらえるだろうか。
One of God's arrangements is that after winter there should come beautiful spring days. It happens every year and it happens in every life.
-- Father Joseph
神はこの世を、冬が去った後には、美しい春の日が間違いなくやって来るように創られた。それは毎年のことであり、すべての人生について言えることであろう。



     沈丁花
遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆるものは君を忘れてしまうだろう。(マルクス・アウレリウス、「自省録」) この言葉のとおり、私は全てを忘れてしまうだろう。そして私の運命もまた同じように忘れられてしまうのだろう。
 ふと甘い香りが漂ってくるので周りを見回すと沈丁花の木に花が咲いていた。今まで、沈丁花のことは忘れていた。毎年毎年、沈丁花の香りに春の訪れを感じる。こうして幾歳月が過ぎただろう。いつしか沈丁花の香りは懐かしさにかわり、忘れていたあなたを思い出す。あなたも私のことは忘れているだろう。しかし、このように沈丁花の香りに私を思い出して欲しい。もう会えないのだから、せめて私を思い出して欲しい。結局忘れられてしまう定めにあっても。
 沈丁花の花を一房家に持ち帰る。部屋は甘い香りに満たされる。私は思い出に耽る。私があなたを思い出すように、あなたも私のことを思い出しておくれ。きっと私の寂しさも和らぐから。そう願って、私は朝食をとる。




     神とは何か
キリスト教における神とは何か明確に答えた箇所が聖書にあります。Iヨハネ4:7〜12です。

「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」

まず神が私たちを愛し、私たちも互いに愛し合うならば、そこに神が現れることが語られています。神は愛です。ここにはキリスト・イエスも含み、キリスト教の本質が語られていると言ってよいでしょう。愛し合えますように!



      花を見て
花を見て、あぁ、可愛らしいな、美しいなと思う気持ちがあるのなら、生きていこう。たとえ昨日、今日がつまらなくとも。「赤井益久(國學院大學学長)」
年ふれば齢は老いぬ 然はあれど 花をし見れば物思ひもなし 「古今和歌集」

 いつも訪れる南河原公園。3月となり、八重桜、梅、桃の花も咲きほころぶ。上の言葉や和歌にあるように、私も花を見ると、日ごろの憂さも一瞬にして消える。花が全てとなり、やがて私も花に成りきり、時間が止まる。記憶とは消せるものなのかと考えたことがある。無理に消そうとしても無駄と悟った。消そうとするのを止めたときに記憶は自然に消える。嫌な思い出も時に流されて自然に消えてゆく。そして新たな出会いへの勇気に変わる。花を見やりながら私はふとそう思った。




      先人たちの礎
Someone's sitting in the shade today because someone planted a tree a long time ago.
-- Warren Buffet
ずっと昔に木を植えた人がいるから、人は今日木陰でくつろぐことができるのです。

私たちは先人たちのお陰を被って生きていることをどれだけ自覚しているだろうか。それに比べ、自分のやってきたことなど無に等しい。そう思うと恥ずかしい。いまさらお役に立てる年齢でもない。せめてお礼を言い感謝したい。私が生れる前からあった技術。橋や鉄道。道路や自動車。電気製品や通信網。哲学や宗教。歴史や文学。それらのことを思うと畏敬の念に打たれる。まことに人間の努力とは恐ろしいものである。
 近辺の何気ない公園にさえ、先人たちの努力が感じられる。整えられた花壇や樹木。人々がくつろげる空間配置。朝の綺麗な空気を吸いながら、私も社会に貢献したいと思ったが、どうしてよいか分からない。せめて、ブログで感謝の念を捧げようかな。



     希望なきところに
信仰・希望・愛と言われるが、私には信仰も希望も愛も確かではない。信仰なきところに信仰を、希望なきところに希望を、愛なきところに愛をもたらすことは、孤独な私には難しい。孤独な人間に神は現れないのかも知れない。いっそ、神のこともこの世のことも忘れ、己を忘れてしまいたい。そんな無の境地のほうが私には好ましく思われる。そこでは何の欲望もなく、それゆえ何の不足も不満もなく自足している自分がいる。人間一人で生きているつもりでも、間接的に多くの人々のお世話になっているものだが、ある程度独立して生きていかなくてはならないのも事実である。甘えるわけにもいかない。厳しさと強さが必要である。しかし、孤独で夢見がちな私はいつのまにか空想に耽っているのに気づくのである。無我の境地にいるつもりが、いつのまにか夢の世界に住んでいる。ひとりでいるから、それを指摘してくれる人もいない。
 今年の春の訪れは去年に比べて遅いようだ。しかし、私がいつも訪れる南河原公園はまるで桃源郷だ。様々な花が咲き乱れる。近所ではまだまだ花は見られない。今日は小雨が降っていたが、自転車に乗って、南河原公園に行った。もう日課になっているので、多少の雨でも出かけないと気が済まない。今日もいつものように出かけられたことに感謝したい。



     さえずり
すべての悩みは対人関係の課題である。仙人のような世捨て人でさえも、実は他人の目を気にしているのだ。<アルフレッド・アドラー>

さえずり。あぁ、小鳥たちのさえずり。天高く響く天上の音楽。春の調べ。太陽の光もまぶしく、今日は暖かく過ごしやすい日だ。この春の恵み。今日も飽きもせず自転車を漕ぐ。
 母が死んだ直後からHPを作り始めブログを始めた。自分のやってきたことを残すのと日記をつけるのが目的だった。あまり読者のことは意識してはいなかったが、時折反応があると嬉しかった。あれから15年の歳月が流れた。HPも大きく育った。時折、読み返している。読み返してみると、その部分を書いていた時分のことが思い出されて懐かしい。忘れていたことを思い出すことができることもあるので、HPとブログは私にとって一種の財産である。

  もういない母への手紙五月の日思えば昨日は子供の日

などという短歌が残っている。そして、あの時は亡き母のことを思っていたのだろうなぁ、と感慨に耽る。一曲作るたびに短歌を一首詠んでいた。
 私も世捨て人のような生活を送っているが、好きでこうなった訳でもないので、HPやブログで社会と繫がりを保てるのはありがたいことだし、反応してくれる人たちには感謝したい。確かに、全ての悩みは対人関係にあるのかも知れない。若い頃は人間関係は苦手だったが、人付き合いが嫌いなわけではなかった。人懐っこい性格のところもある。ただ子供のころから不器用で孤立しがちだった。しかし、このことは孤独に強い性格を形成するのに影響したように思う。他人の目を気にしているというよりも、人間は抜きがたく社会的動物なのだということだと思う。一人で生活していても、食事の時は箸を使い、手づかみで食べるようなことはしない。誰でもそうだろう。別に他人の目を気にしているわけでもない。ひとりで生活していても、社会性を保てるかぎり、精神的には健康な証拠なのだ。
 年を重ねるうちに、欲がだんだん少なくなってくると、雑念も減り、若い頃よりも集中力や根気が続くようになった。皆さんはどうだろうか。だから、若い頃は遊んでいてもいいのではないかと思うようになった。年をとってからでも勉強はできる。いや、しなければならないのだが。若い時には好きなことをやって失敗するがいい。成功するに越したことはないが。それが肥やしになって、良い老年を迎えられ、好々爺とした人間になればいい。私ももっといろいろなことをやっておけば良かったと思う。

『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」という年月が近づく前に』(伝道者の書12:1)

喜びがあるうちは老人ではないということであろうか。それでは私もまだまだということか。




     雨の日
家に閉じこもっているしかない雨の日
母親に叱られた子供のように
部屋で本を読む
子供のように
外へ出たいと疼く心
家にはだれもいないのだから
本を閉じ
思い出に耽ると
懐かしい母の面影が浮かんでくる
ひとりで碁を打つ父の姿が浮かんでくる
それはついこの間のことのような気がする
雨に霞む思い出の日々
しばらくすると
なぜか心は晴れ上がり
私は幸せな気分になった




     努力
私は日々努力する
しかし、何かが欠けている
何のために?
やはり若いときとは違う
若いときの努力には
目的があった
果報を伴った
そう思うとき
私は努力を止め
力を抜き
ヘルダーリンの詩の喜びに浸る
そして黙想し
神が私を強くしてくれることを願う
生きる勇気を与え給え
生きる目的を与え給え
主よ、私の望みはこんなものです
老いて幸あることのなんと難しいことか
せめて知ることの喜びは失いたくない
そう思いながら今日も本を読む
音楽を聴く
あぁ、長い一日が終わろうとしている
年を重ねると一日は長いのに一年は短い
不思議なことだ




     人の一生
幼年期の子供は可愛い
愛され育ててもらうために
青年期の男女は美しい
お互いに愛し合うために
中年期の人々は逞しい
家族を養うために
そして老年期
人は穏やかになり
静かに世の中を見つめる
なすべきことを終え
心は意外と晴れやかだ
人生の意味を問うこともなく
時は静かに流れてゆく
悔ゆる思いも捨て
執着からも離れ
生きてきたという事実だけを残して
人は最後まで迷うのかもしれないにしても
死ぬまで生きてゆく
それが人の一生か





to be continued...........................................





荒井公康
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kimmusic/

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コメント(36件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは、19日から風邪を引き高熱と頭痛に悩み臥していました。
サミエル・ウルマンの詩「青春」の中に青春とは人生のある時期をいうのではなく心の様相をいい、歳を重ねるだけでは人は老いない。理想を、情熱を失う時に精神はしぼみ若さを失う、と述べています。この詩に出会った時は大変感動し人生観に大きな影響を受けました。年齢を重ねても何時だって“青春≒春”は訪れるのですね。きみだんごさんもそう考えて下さいませんか。ご自身の過去のブログでは自然や木々の美しさを讃え、感動する新鮮なお気持ちを述べていらしたのですから“人生の冬”などはまだ到来してはいない筈です。神の、冬が去った後には美しい春の日が間違いなくやって来るように創られた、を信じて、生きている限り出会う喜怒哀楽を(例え苦難があったとしてもその中に楽しみを見出しながら)楽しんで生きたいものですね。当地は梅の花が芳ばしく桜はこれからです。多才に恵まれたきみだんご様、啓発されます。これからもブログを続けて下さいね、どうぞ宜しく。
真萩
2017/02/24 12:29
風邪はよくなられましたか。宇都宮は内陸ですから冬は寒いでしょう。こちら横浜の端っこの鶴見は沿岸地帯で冬は暖かく夏は比較的涼しく過ごしやすいです。
日光に二回、鬼怒川温泉に一回行ったことがあります。日光の一回目は小学校の修学旅行でした。子供の頃が懐かしいです。
大学では化学を専攻しましたが、本当は物理か数学を勉強したかったのです。社会に出て、材料科学と電気工学と人工知能関連の仕事をしたため、物理や数学から遠ざかっていたのですが、最近、数学や物理の本を読むようになりました。数学などはこの歳ではもう無理かと思っっていたのですが、これが不思議なことに、若いときよりも、よく分かるのです。本の読み方が変わったようです。昔は細かいところに拘った読書の仕方でしたが、最近は大局的に見て何が言いたいのかを読み取るような読書の仕方になりました。細かいことは分からずとも気にせずに全体として何が書かれているか注意するようになりました。これは効果があります。
私には理想、情熱というよりも夢があります。数学や物理の勉強をし直すことです。放送大学などにも興味を持っています。夢を実現したいと思います。
真萩さんも、ご自分のことを大切にしてご自愛下さいね。私は絶望している訳ではありませんから、安心されて、楽しくやっていきましょう。きっと、身近な人たちには愛情細やかな方なのでしょうね。こんな遠くの人間に親切なのですから。
真萩さん、くれぐれもご自愛をお忘れなく。ブログは続けますから、これからも宜しくお願いしますね。
きみだんご
2017/02/24 17:52
滅多に風邪など引きませんのに10年ぶり位に罹ってしまいました。ご心配を頂き恐縮と共に心からお礼申し上げます。もう治りましたので、以後気をつけてまいります。確かに宇都宮の冬は寒いのですが、暖房の効いていない部屋に移動しますと空気が乾燥し、シンとして落ち着きが感じられて緊張感を受け時には良いものです。
世界遺産の日光は、東照宮のみならず周囲の森や林や湖等美しい自然に恵まれています。秋の紅葉に加えて5月の新緑の頃には濃淡の木々の葉をくぐって行くと、いくつもの
美しい滝が見られます。しかも流れ落ちる水の音が幽玄な世界へと誘ってくれるような気配が感じられます。是非訪れてみて下さいませ。私は英米文学を専攻しましたので、物理や数学の世界は程遠く難しいとしか思えませんが、確かに歳を重ねてから理解できたと言う事はありますね。それは、年齢を経、経験を重ねた結果の賜物なのでしょう。
けれどいささか残念な気も致します。学生時代でしたなら良いお点が取れましたのにね^^
マクドナルドの創始者はいろいろな事業を手がけた結果遂にとうとう50代で成功を治めたそうです。こういう人の伝記って勇気づけられますね。終生夢を持ち続けサイの如く実現に向けて進んで行くって素晴らしいですね。きみだんごさんも夢が叶うといいですね。無理をせずにガンバッテ下さい。遥か彼方から応援しています。
真萩
2017/02/26 14:43
風邪がよくなってよかったですね。自然に囲まれた生活をしておられるようで羨ましいです。いつか日光の自然をじっくりと味わいたいですね。両親は山よりも海が好きでしたので、子供の頃から、よく伊豆方面に連れて行ってくれました。車の免許を取ってからは、国道143号線を通って逗子から片瀬江ノ島まで、海岸線をドライブするのが好きでした。山もいいですが海も開放的でいいですね。
真萩さんの文章を読むと古典を引用されたりと日本文学が専門かと思っていました。英米文学とは意外でした。真萩さんの文章からは古風で日本的な雰囲気が感じられます。
昨日は、教会で聖日礼拝を終えてから男同士で会合を開きました。物理が好きな人がいて本の交換などをしています。ヒッグス粒子に関する本を貸してもらいました。
70代の人も出席しましたが、健康には気をつけなければならないと思いました。30種類も薬を飲んでいるとのことでした。私は毎日午前中には自転車に乗ったり歩き回ったりすることが効いているのか、体の病気は何もありません。頭を使うことも健康の秘訣だと思います。人間の脳は身体の活動も司っているので脳が衰えると病気になるのではないかと思っています。とにかく頭も体もよく動かすというのが私の健康法です。効果はあるようですよ。真萩さんの健康をお祈りします。とにかく頭と体を動かすことです。健康第一です。健康を損なったら夢もなにもありませんからね。
きみだんご
2017/02/27 05:21
健康についてご心配を頂きまして、又、アドバイスも頂戴しご親切に重ね重ね有り難うございます。
よく英米文学や日本文学を愛読しますが、特に日本の古典は和歌も加わり、微妙な表現をする為の日本語の語彙が豊富なので詳細に伝わって感動してしまいます。そして、日本の伝統文化の茶道や生け花を嗜んできましたので多分そういう環境での所作が文章にも表れて古風に映るのかもしれませんね。
これからウオーキングにまいります。丁度折り返し地点にはツタヤがあり、店内にはタリーズコーヒがあって時にはそこで新刊本を探したりお茶をしてユーターンします。
楽しみを見つけながら・・・の私です。
真萩
2017/03/01 13:59
高校時代から小林秀雄の著書をよく読みました。彼の文章には古典からの引用が多く、古文や漢文を含み、しばしば受験問題に出題されていたこともあって、私の世代では受験の神様と呼ばれていました。彼の「西行」、「実朝」といった有名な文章には和歌が散りばめられています。私も和歌が好きです。万葉集よりも古今和歌集、新古今和歌集などのほうが好みです。徒然草や平家物語もよく読みました。英米では、サリンジャー、モーム、O・ヘンリーなどが好きですかね。
茶道とか生花とは、私には縁がないせいか、恐れ多い世界ですね。
今日あるところで、SFアニメ映画「時をかける少女」を観ました。高校を舞台にした時を越えた恋の物語で、甘酸っぱく切ない映画でした。年老いたと泣き言を言う私にも、青春時代の胸キュンとした感情が残っていることを示してくれるような映画でした。真萩さんも機会がありましたら是非ツタヤで借りて観て頂けたらと思います。
きみだんご
2017/03/02 13:18
こんにちは、先日は鬼の(鬼にはなりたくはありませんが)かく乱の如く10年以上も罹らなかった風邪を引いてしまい治った直後、今度は例年の如く花粉症が到来し日光の杉山や杉並木の花粉に遭いまみれ、Ufu・・・鼻水やくしゃみでヘトヘトに疲れてしまいました。処方された薬と栄養ドリンク剤でやっと回復してきましたので早速「時をかける〜」を観ました。 青春ってウブで一直線で、その姿をマコトを通じて如実に表現していますね。観ていますとはらはらしてしまいます。BGMのバロック調の曲や、クレジットに流れるビートルズのレット・イット・ビーのイントロらしき曲を聴きながら昔を懐かしみました。ご紹介有り難うございます。
私の青春映画は、“O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo?” 1968年作 ジュリエット役オリビア・ハッセーです。私のロミオは今どこで何をしているのかしら等と、将来への思いを廻らし期待しながら観たものです。しかもこの映画がきっかけでシェークスピア文学を愛読するようになりました。そしてシャーロット・ブロンテ著の「ジェーン・エア」も愛読書のひとつです。孤児のジェーンが成長するに従い、控えめながらも人を助ける女性になっていくところが魅力的で、日本の大和なでしこのような女性に通じるところが素敵でした。イギリスは政治的にも非常に底力のあるお国柄の印象を受けますが、文学にもどっしりとした内容の作品の印象が強く感じられます。きみだんがさんはどう感じられますか。
又、小学生時代からシェークスピアを読ませる教育をしており、その影響からかしら、質実剛健の精神が浸透しているようにも見受けられます。
では、これから、小林秀雄の「西行」「実朝」を読んでまいります。楽しみにしています。
真萩
2017/03/07 13:16
BGMのバロック調の曲はバッハのゴールドベルク変奏曲ではなかったかと思います。私も印象に残りました。瞑想的でしかも少し甘美でよかったですね。
シェークスピアは丁度全作品の新訳を手に入れたところです。ハムレットをまず読みました。名科白とオフィーリアの哀れなところが涙を誘いました。ロミオとジュリエットも哀しい物語ですね。世界恋愛悲劇の代表的傑作ですね。他の作品も読んでみます。野暮な化学屋の私は文学には詳しくないのですが、ハムレットなどは訳が優れているのか、読んでいて気持ちがいいですね。東大教授の河合祥一郎という人の訳です。もちろん原作がしかっりとしているからでしょう。
真萩さんは本当は厳しいところがあるのかも知れませんね。私の母も中学まではスパルタ教育で塾に行かされるなど厳しい母親でしたが、高校に入ると、打って変わって自由放任の優しい母に豹変してしまいました。質実剛健というとカッコヨイですが、私もそこまで行かずとも随分と質素な生活をしていると思います。食生活も質素ですが、それで病気にならないのかも知れません。金のかからない男です。
小林秀雄は儒学とか武士道に詳しいから真萩さんの好みに合うかも知れません。私も西行と実朝を読み直してみようかな。
きみだんご
2017/03/07 16:35
バッハのゴールドベルグ変奏曲、知りませんでした。良い曲したね。きみだんごさん、何でもご存知なのですね。
ロミオとジュリエットは出会った瞬間に恋に落ち、その後
ロミオは仮死状態のジュリエットを本当に死んでしまったと思い、ジュリエットを追って自ら命を絶ってしまった。
又、オセロはイアーゴの計略にかかり、挙句、妻のデズデモーナのありもしない不貞を疑って殺害し、終に自らも命
を絶ってしまう場面が繰り広げられますね。愛と(純愛、深愛)死は背中合わせなのだと、その深い感情と情念を知った青春時代でした。
質実剛健は、ねばならないと考える機会が結構あり、自分を否定してでもそうしなければならない時があるように思います。唯、社会全体がそうしなくてもいいように文化的にも発展していればもっと楽になるとは思いますが・・。
それを否定はしないけれど、私は自分を窮屈にせずに個人の意思を尊重しながら公平公正にすればいいのではと思い
ます。
ご紹介頂いた西行と実朝を読みました。二人の生きた時代背景と寄って立つ所を深く理解し、温かい眼差しで虚飾無く評論しており感動しました。しかも、実朝がどれほどの苦労を負って時代を生きたかを知る事も出来ましたので有難いと同時に胸が痛みました。ご紹介下さり感謝しています。
きみだんごさんにとってお優しいお母様に変わられたのは、きっと、本当はいつでもやさしい母でいたかったからなのではありませんか? 質素な生活をされてご病気にも
ならずお金のかからない生活は確かに素敵な事かもしれませんね。けれどもたまには何かの折にはご自分にご褒美を
差し上げて下さいね:)

真萩
2017/03/09 19:40
深い愛に落ちると人間は己を見失ってしまうのでしょうね。シェークスピアの世界ですね。少し怖いですね。私は独身だからそんな深い愛に落ちたことはありませんし、精神的に幼いせいかマコトのような淡い恋にまだ憧れてしまいます。30代の頃、結婚相談所に入って、なんとなく出合って、何となく別れる、ということを繰り返していた時期があります。でも楽しかった時もあって、なんとなく懐かしいですね。それきり女性には縁がありません。このまま飄々と寅さんみたいな人生を歩むのかな。
質実剛健とは飾り気がなく真面目で、強くしかっりしていることと辞書にあります。私にも当てはまるところがありますかね。泣き言を言っても、私は意外と強くしっかりとしています。普通の人には耐えられない生活をしていますけど、知識欲が旺盛なせいか、本を読むなり、退屈せずに何とか生活しています。真萩さんも質実剛健のようですね。女性なのに立派ですね。
高校生になって、私が大人になったのを見極めて、母は態度を変えたのだと思います。学校の成績も良かったし自慢だったのかも知れません。どんなことがあっても母は無条件に私の味方でした。
生活は質素ですが、甘いもの好きの私は時々、スウィートを楽しんでいます。真萩さんはどんなことが楽しみですか。
きみだんご
2017/03/10 10:00
お互いが純愛だからこそ命を懸けることが出来るのではありませんか? 福島原発の事故でいまだに遺体の見つからない妻を、最近までも年配にも拘わらず夫が海中に潜って行方を捜しています。相思相愛のご夫婦だったのでしょう。涙をさそいますね。恋愛に限らず、趣味やお仕事のような多方面に於いても運命的な出合いがあって一生に一度位は自らをそこに置くことが出来たならば本当に幸せだと思うのですが――。いつまでも情熱や夢を持ち続けたいものですね。
ところで、きみだんごさんのお好きなものはよーく知っています。だってニックネームからして・・・(笑) ずぼしでしょ? 私はつい最近まで好物のお蕎麦の食べ歩きをしていました。日光市と合併した今市市は美味しい蕎麦が採れます。信州、出雲、北海道方面の物も美味しいですが、私としましては、掛け値なしに日本一美味しいと思いました。日光にいらした際は是非堪能して下さいませ。
明日は動画を観ます。宜しかったらどうぞ。
三国志01 Dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x4uhibr_%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97-01_tv
真萩
2017/03/11 21:35
怨憎会苦・愛別離苦と言われ人間関係はままならないものですが、出会いは大切にしなければなりませんね。一期一会の気持ちですね。確か一期一会とは茶道の心得からきたものですよね。私は若いころに出会いとか人間関係を大切にしなかったため、今になって後悔しています。これも歳を重ねないと分からないことで後悔先に立たずになってしまいました。若い人たちには出会いや人間関係を大事にして欲しいですね。こんな私にも運命的な出会いはありました。それは誤解と悲劇に終わりました。
私はダンゴより、蓬餅のようなものが好きです。洋菓子も好きですよ。
蕎麦ですか。お蕎麦屋さんはいいですよね。気軽に入れますし、寛げます。蕎麦と言えば、近所に長寿庵というお蕎麦屋さんがかつてあったのですが、そこの天婦羅蕎麦とか狸蕎麦は美味しかったので記憶に残っています。どこの蕎麦だったか分かりませんが。なくなってしまったのは残念です。今井市の蕎麦は横浜でも買えるかもしれませんね。真萩さんはグルメなのですか。楽しそうですね。
三国志は高校の古典で習いました。ありがとうございます。
今日はホワイトデーですね。ここでお礼に代えさせていただきます。
きみだんご
2017/03/12 06:46
こんにちは、ホワイトデー、サプライズでした。Cool!^^
『希望なきところ』によせて、 人が一番辛く苦しいのは孤独。孤独は不幸をぐんぐんと深めていき歳をとると行動範囲も狭くなり益益拍車がかかりますね。若い時は自らの目的や夢を実現する為に一目散で孤独など考えたことさえありませんでしたのに。が、孤独は人が誕生した時か負ってきた宿命のようなものと思いませんか?ではこの根源にある孤独を基から断ち解消するには自分の精神力を強化すること?愛する人や友人知人に恵まれること?文化的なものや趣味旅行娯楽に費やすこと?人によっては好みがあるかもしれませんが全部がそうとも思えます。しかし私には一つだけでいい、決定的なものがあります。なんかクイズをしているようになってしまいましたね。
ヘーゲルが“幸せになりたければ幸せになるに値する人となれ”と説きました。私はこの言葉が大好きで信じてきました。厳しい教えではあるけれど、本来はそうあるべきなのですよね。唯、世の中は理不尽にできておりそういう世界で信念を貫いて行くのは難しい。けれどヘーゲルの説を元に他を類推していくと、品物の対価にしてもその中身と値段が一致しているかどうか労働と報酬は合致しているかどうか等と、多方面の価値観についてもインスパイアさせてくれます。ですから却って現実的で素晴らしい。きみだんごさんが以前聖書のお話の中で、忍耐についてご説明されたと思いますが、乗越えていくには忍耐心が大切でそれが品格をも作るのだと。正にそのとおりですね。私は楽観的なのでしょうか。暗い気持ちで過ごすのも一生、明るい気持ちで過ごすのも一生。なら気持ち的にも後者を選ぼうと考えます。
ではまだ寒さが続きます、ご自愛下さいませ。





真萩
2017/03/15 16:32
孤独も慣れるとそれほど苦痛でもなくなりますが、それでも時々大きな寂しさを感じる時がありますね。もう父母に会えないのだという考えが突然浮かんできたりして。孤独は決して否定的なものとしてだけあるのではないと思います。孤独は神の仕事場だという言葉もあります。西行も実朝も孤独だった。だから、あのように和歌を残したのでしょう。私も彼らほどでないにしても、何となく彼らの気持ちが分かるような気がします。
人生においては何事も何らかの意味があるのだと思います。孤独にも意味があり、孤独に如何に対処するか、孤独を如何に生かすかが問われているのだと思います。孤独に対処するのには忍耐が必要でしょう。それが品性を生み、やがて希望を生むということをかすかに望んでいます。
人間だれしも幸福になりたいと思うのは当然でしょう。幸福に値する人間になるのは難しいにしても、誰しもが幸福になるのは望ましいことだと思います。たとえ甘い考えだとしても。価値のない人間をも愛するのが神のアガペーです。厳しい考え方をするのも立派ですが。
孤独な私にも神様が働いておられるのを感じます。真萩さんを送ってきて下さったし、最近は教会の人たちともより親しくなりました。神様は孤独な人間を放っておかれない。そう思います。真萩さんは楽観的というより前向きな方ですね。私と反対で刺激になります。
今朝、産経新聞を買ってきました。「朝の詩」読みました。良い詩でした。私も作風を変えればなんとかなるかもしれませんが、がっかりするといけないので、あまり期待しないようにしたいと思います。
きみだんご
2017/03/16 10:17
いつも自然体のきみだんご様、きっとご自分らしい表現を
つくされるのでしょう。
その時までずっと応援し続けましょう。
真萩
2017/03/18 09:14
大和なでしことして、多くの人を助けてあげて下さいね、優しく賢い真萩さん!
尊敬を込めて!
きみだんご
2017/03/18 09:55
こんにちは
昨年京都を訪れた折、紅葉をめでる為駅前でバスを待っていると盲目の方が杖をつきながらバス亭に向かって歩いて来られた。杖で地面の感触を探りながら間違えないようにと、その一点に集中している見えた。そのうちバスがエンジン音を鳴らしながら目の前に停車した。私はその方に乗りましょうと声をかけ、お手を取ってステップに向かった。その方は簡単ではあるけれども丁寧に軽く会釈をして下さり、私とステップに向かった。
私が、さあ一段目の階段ですよと声をかけるとその方は無言でしっかりと階段を踏み込むようにして上った。この様子は恰も健常者が登山の際に頂上を見上げ、その一点を目指してこれから踏破するのだ、というような姿勢に見えた。そして、さあ二段目ですと声をかけると又、無言で再び上った。更に私は最後の一歩ですよと声をかけると同様にして上りきった。階段を踏み外さないようにとその一点に集中している様子がしんしんと伝わってきた。上りきると運よく空席がありそこに導いて、どうぞお座り下さいと声をかけた。健常者であれば声がけなど必要ないんですね。その方は着席をされると安堵したのであろうか、本当に安心した様子でお礼を申したのであった。走行中も周囲に気を配っている様子が窺えご苦労がひしひしと伝わってきた。そのうち混雑してその方と向かい側に座っている私にはその姿が垣間見える程度になってしまった。その方が何処で下車するのか分からない。隣席の人にお願いをしておけばよかったと思いつつ私の方が先に下車した。
ああ、私なりに気遣いをしたつもりでしたが至らなかった。親切を(大げさな事ではなく単に私のシンパシイからでた行動でしたが)するのは難しい。私のような身分の者が出来ますのはこの程度の事です。
Thx.
真萩
2017/03/20 13:38
相手のことを完全に知ったり、先のことを完全に予測することはできませんから、完全な親切というのは難しいと思います。どうしても中途半端な親切になりがちなのでしょうね。人に親切にするには結構勇気が要るのか、世の中が冷たいのか分かりませんが、親切な行為を見かけたり、自分からしたりといったことは最近少ないですね。よっぽどのことでなければ、無視するのが人の常でしょうが、真萩さんは立派なことをなされたと思いますよ。また別の人が、あとからその盲目の方を助けたと思います。安心して下さい。
バリアフリーが叫ばれる世の中でも、施設面を立派にしても利用する障害者の方は少ないようですね。ひきこもりがちな障害者の方が多いのでしょうね。施設面だけでなく、人々の意識を変えて、心のバリアフリー化も必要でしょうね。助けて当たり前、助けられるほうも当たり前で心理的負担がないようにする工夫はないものでしょうか。やはり、子供の頃からの教育が問題なのでしょうか。
私は勇気がなくて親切にできないタイプです。最近見かける女性のホームレスの方のことが気にかかっていますが、どうしてよいか分かりません。他の人たちも警察官も彼女を無視しています。真萩さんなら、どうしますか?
きみだんご
2017/03/20 16:39
私の考えが的を得ているかどうか分かりませんが、ホームレスの女性に対して「気にしないでこれを遣って下さいね」と伝え、自分の出来る範囲内でお金を渡します。そして早速福祉事務所を訪ね、女性の存在と特に印象に残った状況を伝えてどうにかして頂けるようお願いします。
お金といいますと、偽善的に見えるかもしれませんが、心尽くしのかたちをお金に換えただけの事ですから悪いことではありませんね。人として皆が根源的にもっている優しさの気持ちがあるからこそお金を使って少しでも幸せな気持ちになってほしいと願い、あまつさえ施した方でさえも幸せな気持ちにさせて頂けるのはこちらこそ有難いことですね。
人生は一寸先は闇とブログにコメントさせて頂きましたがいつ何時お互いの立場が逆転するかも分かりません。たとえ私がそうならなかったとしても、家族や兄弟がそうなるかもしれません。ですから普段は水のような関係でも困った時には手を差し伸べていければいいと思います。
日本は弱者に冷たい国という感が否めません。不幸があると、バチがあたったのだと根拠なくいい、不幸に遭っているにも関わらず更に追い討ちをかけるような心ない人がいるのは悲しいですね。北欧から発したノーマライゼーションが本当の意味で日本にも根付く為には民度をあげなければ成らないのでしょうね。併せて、バッハやベートーベンの音楽、ダビンチやレーピンの絵画、漱石やシェークスピアの文学等いにしえから現代まで世界中から愛されてきた芸術作品は人類がずっと希求し続けてきた愛や美への憧れが内包されているからだと思うのですが。きみだんごさんはどうお考えですか?
真萩
2017/03/21 16:50
古今東西の偉大な芸術作品には、絵画、文学、映画、音楽などがあると思いますが、人間のあり方について多くのことを現代人に教えてくれると思います。登場人物をロールモデルにしたり反面教師にしたりすることができるので、生きていく上で指針になりますね。音楽などでも精神を鼓舞してくれたり瞑想に誘ったり甘い夢を見させてくれるものなど多様ですね。文学などは言うまでもありません。そこには、仰るとおり、人類が希求してきた愛や美への憧れが内包されており、その憧れは私たちの内にもあり、それに共感するからこそ、私たちも感動することができるのでしょう。偉大な芸術作品を通して私たちの人格を陶冶することができると思います。それを現実に生かしていければ理想的ですね。
きみだんご
2017/03/22 09:37
昨日から雨が降り花粉が舞うのが落ち着きましたので症状が和らいできました。副作用を避ける為投薬を少し控えていますのでクシャミ連発!もうクタクタです。きみだんごさんはアレルギーがないようですので幸いですね。そんなこんなでやっとブログに辿り着きました、v( ^-^)
「雨の日」によせて
ご両親の愛を一心に受けてこられ本当に幸せだったのですね。きっとご両親は真綿にくるむ様にして育てられたのでしょう。しかも昔の親御さん達は最初に男児の誕生に恵まれますと、相続人の誕生として二重の喜びになったそうです。私は最初ですが女児ですから弟と比べますと雲泥の差でした。とても寂しく辛い思いを致しました。この経験が後に深く影響して、全てに対し物事の視点を公平公正において見るという人生観に至りました。
父はいつも遠くから私を見守り、認めてくれていましたから真直ぐに成長できたのだと思いますが、特に漱石やヘッセ、A.J・クローニンの文学に導かれ励まされてきました。
深い愛情に恵まれ、それが生きていく上で必要なしっかりとした基盤になっているきみだんご様、これからは主体的に愛を注ぐ立場に向けていって下さればと祈ります。
きみだんごさんは、ひと串に3個から4個も連なっているのですから寂しくはありませんね。鬼を退治した桃太郎の活力の元は“きみ?だんご”です。サルも雉も犬もきみ?だんごのご褒美がほしいが為に家来になったのではありますまいか。Quququ・・ 拙いお話で恐縮です。
Have a good one.





真萩
2017/03/27 14:30
アレルギーは辛そうですね。ご同情申し上げます。
両親は子供の頃から何不自由なく育ててくれました。両親は晩年病気がちで随分心配させられましたが、感謝しています。幼少の頃から家族親戚に可愛がられてきたせいか、晩年は孤独がちなのでしょうね。人生は公平にできているものだと思います。
真萩さんの人柄を拝見しますと、ご両親もご立派な人だったとの印象を受けます。きっと、愛情を持って、厳しく育てられたのでしょう。
教会の活動を通して、主体的に愛を注ぐ立場になれればなぁと淡い期待を持っていますが、難しそうですね。
きみだんごも寂しいですよ。誰も私を欲しがってくれません。寂しいですが、読書など何かしら活動しているので、気が紛れます。興味の対象が広いので時間が足りないほどです。
桜が咲き始めました。これからしばらく楽しみですね。花といば桜、桜はいいですね。真萩さんもお花見を楽しんでください。
きみだんご
2017/03/28 10:13
お心遣い下さり有り難うございます。又、京都での障害の方が、後にはどなたかが親切に接して下さる旨お話下さり本当にホッと致しました。有り難うございました。
又、きみだんごさんが教会での活動を通じて独自の緻密な特性と才能を生かされてご活躍下さいますよう祈ります。
きみだんごさんのニックネームは多分、「君子固より窮す。小人窮すれば〜」に因んでらっしゃるのではありませんか? とても高貴な印象を受けます。おだんごよりも蓬餅の方がお好きだという文面からふと気がつきました。間違っていたでしょうか?^^ 懐の深いお方のようにお見受けします。
ご存知かもしれませんが、大人の交わりは淡きこと水の如
しといいます。そして孤高の人も素晴らしいと思います。きみだんごさんはそのような生き方を選んでこられたのでしょう。孤独に強い人ほど逞しく誠実で優しい。女性であってもそうなりたいと憧れます。
これから百花繚乱の季節が始まります。華道で色々な花材を扱ってきましたが、桜は美しく技巧を凝らさずにほぼそのまま用います。京都を訪れた際は仁和寺の御室桜をめでて下さい。はんなりした色香が美しいのです。
「とはずがたり」で、後深草院二条が西行に憧れて後年、諸国を見聞するのですが、同じように私の将来の夢であり実現したいと願っています。
何処の何方も同じ気持ちになって素直に桜をめでるのでしょうね。お花見を楽しみましょう。
真萩
2017/03/30 19:08
私は真萩さんが思われるほど立派な人間ではありませんよ。恥ずかしくなります。
しかし、人には誠実で優しく、自分には厳しく、というのは理想です。「君子の交わりは淡きこと水の如し」「君子固より窮す」「小人閑居して不善をなす」などは好きな言葉ですが、君子ならざる小人の私にはあくまで理想と戒めですね。
仁和寺の御室桜ですか。観てみたいですね。さぞ風情があるのでしょう。後深草院二条のお話は、真萩さんの教養を感じさせます。夢が叶うといいですね。
私も近所の桜の名所を巡って、写真を撮ってみようと思っています。しかし、写真に写った桜は散らないから風情がないでしょうかね。桜を愛でるのは日本人なら皆同じ気持ちです。楽しみましょう。
きみだんご
2017/03/31 06:07
こんにちは、夢を応援して下さり有り難うございます。益益その気になってまいりました:)
ブログでお好きな数学と物理を改めて勉強されていらっしゃると窺いました。今は理数離れの学生が多くなり残念ですね。問題を解きたいのだけれど、どうしても解けなくて、もがき苦しんでいる学生にとっては、指導を受け正解出来る事はこの上なく嬉しい事です。私は度々そのような生徒にめぐり会いました。冥利に尽きるというのでしょうか、感慨深いものがありました。
お節介で僭越かも知れませんが、才能を是非若い学生たちに生かし救ってほしいと願います。向き不向きがありますから大袈裟にお考えにならずにいただければと思います。
 青空と ピンク色の桜花は見事なハーモニー
 ライトに照らされた 夜空の優美で艶かしい夜桜が・・
 風に吹かれて 儚く散るのは舞い桜
 散り落ちて 川面いちめんを埋め尽くす
 行く先も見えぬ旅路に
  水の流れに添いながらたゆたう桜花
桜のお写真が思い出の一片になるといいですね。
真萩
2017/04/02 05:53
個人的に思うのですが、理数系の学問は、文学や社会科学や哲学などと比べてみて面白くないし、世の中は文系が多く、理系は恵まれない立場なので理数離れが進むのだと思います。私は人工知能という学際領域の仕事をしていたので、文系の学問にも通じていなければなりませんでした。学問は理系だけでも寂しいし、文系だけでも寂しいというのが本音ですね。まぁガリ勉の戯言ですが、未だに受験生気分が抜けず勉強していて飽きません。教員資格がないので、私には教えることはできませんが、学ぶことの楽しさならよく分かっているつもりです。それを伝えるのは結構難しいかも知れません。
散る定めの桜。しかも、散った後の行方も知らぬ桜花の余韻ある趣の詩ですね。私たち人間の運命もまた同じ。まだ美しいうちに散ろうとして散り急ぐ桜に共感するのが日本人の感性なのでしょうね。
近所でも桜が咲き始めました。少し写真も撮りました。まだ満開ではないですが、入学進学と桜の季節は希望に満ちていていいですね。
きみだんご
2017/04/02 13:27
こんにちは 
理数系は人類を進化させ文明を発展させる学問として非常に重要な位置にあると思います。
コツコツと研究を重ね新発見をしたりして、一生を研究に捧げていくのは並大抵の心構えでは成らず、最終的にはこの分野が好きだという思い、情熱に尽きると思うのですが。経験からですが、研究をされているの方々の仕事ぶりを拝見しますとその真摯な姿勢に胸をうたれます。
企業では技術者が(研究者も)開発業務に携り営業職がその
製品を販売しますね。無から有を生み出すのは大変難しいと思いましたが、営業職がもてはやされてきました。けれども現在では技術者に重きをおくよう言われ始めてきました。営業職がなければ販売できないのは当然ですが、新製品がなければ売りたくても売れないのも当たり前。双方の力で成り立っている筈なのにもっと早く気がついて頂きたかったですね。このような事情も理数離れの一因かも知れませんね。
少数であっても、人の行く裏道に花の山、という訳にはいかないのでしょうか・・、残念です。
私は文系ですから上記に理解を示す他ありません。仰るとおり教育の現場で学ぶ楽しさを教えて行ければいいのでしょうね。補足ですが社会科にしても単に年代を暗記するのではなく、黒船が来航した時に吉田松陰は外国を見聞してみたいと言ってペリーに乗船させてほしいと願ったけれど聞き入れられず念願を果たせなかった。坂本竜馬は黒船来航をみてこれから日本は変わると考えた。等等の説明がなされると歴史への興味がどんどん湧いて楽しく学習できる筈でしょう。
子供は常に新しい事を求めており教師はそれに応えてやらねばならない。そして子供の話をよく聞く事が私のモットーでした。
ところで、桜のナイスショットをたくさん撮れましたか? 機会がありましたら拝見させて下さい。


このような
真萩
2017/04/06 20:46
企業は組織で動きますから、企業の要請に個々の従業員がいかに答えるかで待遇は変わってきます。いくら個人的資質に優れていても、企業の期待に答えなければ、陽の目を見ないことになります。技術職であっても営業職であっても、恵まれる恵まれないは、いかに企業の期待に答えられるかにかかっています。技術職の場合、単に製品を売るだけではないので、企業の要求に合った製品を開発したかどうかの評価が難しいのだと思います。自分が良いと思ったものを開発したのでは問題にならず、社会や企業の要求に見合ったものを開発しなければ評価されません。自分がよいと思ったものを開発するのは容易でしょうが、それが社会や企業の要求するものとは限らないところが難しいところですね。場合によっては独りよがりに終わってしまいます。
教育には経験がないのですが、子供は好奇心に満ちていて、どんな新しい知識にも喜ぶのでしょうね。その好奇心がどんなものか知るために、子供の話をよく聞くことも大切なのでしょうね。押し付けではないことが大切なのですね。
きみだんご
2017/04/08 08:43
「努力」によせて
おっとりした私だけれど若い頃は成功した事もそうでない事も色々あったわ。無垢で純粋な若さゆえ一途に歩む。もっと上を目指してと再チャレンジするエネルギーもあった。そして、それに伴う幸福感で満たされた。
年齢を経ると過去の経験と色々な積み重ねから得たエッセンスで残りの人生(あまり使いたくはない言葉ですが)を過ごす事になるのね・・・。けれどこれは神様が与えて下さった休養と言えなくもないでしょう? 
理不尽にみちた世の中で「努力」してここまで生きてこられたのは幸運だと思いたいわ。神様に感謝。そう思いませんか?
この辺で一寸小咄を 一日は長い、一年は短いとは。
きみだんごさんの素晴らしい文学的表現を科学的に考察しますと、歳をとると「下り坂」と言ったりします。
一年が短いのは若い頃よりもふっくらした体型は重力が更に加わりその上、慣性の法則に従い、下り坂を転げるようにして過ぎ加速度がついて短くなるのです (*^-^)
間違っていたらお許しあれ〜



真萩
2017/04/27 17:36
真萩さん、お久しぶりです。お元気でしたか?
何事も神様が与えて下さった恵みなのだと思います。若い頃の辛かったことも今となれば懐かしい人生の一コマです。残りの人生というと確かに語感が悪いですが、これも神様からの賜物であり恵みであると思い、最善のことしかなさらない神様を信頼していれば、平安が得られ、幸せで落ち着いた気分に浸れます。そう思いませんか?
もしも、一日が千年のように思えたら、もう明日死んでも悔いはないのではないでしょうか。一日が長いと感じるのは退屈だからとばかりとは言えないような気がします。これも心の修養の結果得られるのではないでしょうか。更に行って、一瞬が永遠に思えたら?
面白い小咄ですね。真面目な話、若い頃より、体重が10Kgくらいオーバーしてます。運動しているのですが、甘いものを食べてしまうので、体重はほとんど変わりません。10Kgは痩せたいですね。そうすれば一年が少しは長くなるかも知れません。
きみだんご
2017/04/28 15:51
こんにちは、花粉も飛来しなくなり元気に過ごしております。
神様を信頼する事は確かに心の平安が得られますね。信じる事は大きな支えになるのでしょう。唯、信じる心という
魂のようなような存在を内観しますと、自分自身を信じられるからこそ神様を信頼できるのでは、と思います。
一日が千年のように思えたなら、神わざをもって過ごすしかなく、生身の人間が成せる業なの?! こうなりますと
Fly me to the moon,my God.. 宇宙に旅立って地球から見ていた星を巡ってみたいと願います。そして更に行って一瞬が永遠に思えたなら。難しいご質問だわ〜。光速よりも音速よりも速い、一瞬のまばたきのようなものなのでしょう? U-nn
神通力を頼みとして愛する人達に来世での永遠の巡りあいを誓いながら宇宙に旅立ちます。
小咄のふろく 10キロ減量されますと一年が少しは長くなるかもしれませんが同時に、一日も更に長くなるでしょう、難しいところですね(^^) 連休を楽しんで下さい。



真萩
2017/05/03 14:21
米国では、キリストの教えはただ弱い人々、臆病者、神経症の人々、何か支えを必要とするような人々のためのものだと言われることがあるそうです。一理あると思います。パウロは聖書の中で、自分が誇るものがあるとすれば、自分の弱さを誇ると言っています。自分自身を信じられるとは強い証拠だと思いますが、宗教は弱い人々が絶対者にすがるような側面があると思いませんか。私個人はキリスト教は少し女々しいところがあるように思うのですが。仏教のほうが凛々しいですね。
きみだんご
2017/05/08 18:05
仰るとおり宗教は弱い人々が絶対者にすがるような側面があると思います。病に苦しんだり、心がくじけそうになったり、他者から迫害を受けたなど、苦境の淵に立たされた時のよすがとしてあるのでしょう。これこそ宗教の真実なのだと思います。仏教もキリスト教もイスラム教もあらゆる宗教において、人々の神に願い祈る姿はどなたも皆同じ姿で祈っている。宗教って世界中の人々の心をひとつの姿に導く事が出来るのですね。これってスゴイことですね。
又、自分が選んだ宗教に帰依しようとするのは、自分自身の考えを信頼できなければ、あらゆる宗教の中でひとつの宗教を選択出来る筈がないのではないでしょうか。つまり自分自身を信じられなければ、他者である神様の教えさえも信じられないと思うのです。自分の思考で選び、帰依した神様だからその御心に添って行けるのだと考えます。人間ってちょっとしたことでつまずいたり失礼をしてしまったりして・・・、弱く頼りない生き物なのですね。その上、理不尽な世の中で生きていかなければならず艱難辛苦をかかえています。ですから、自分が信頼する神様をよりどころとし平安に導いて頂けるのは有難く、謹んで感謝していきたいと思います。
キリスト教の聖書は論理的でわかりやすく書かれており、現実的で親しみがもてます。遠い昔、欧米の子供達の学校の教科書に聖書を用いたのは素晴らしいと思います。この影響かどうか分かりませんが、キリスト教の人々の精神には国土を越えて聖書の教えによって根底のところで繋がっているところがあるような印象を受け、羨ましいと感じたりもします。











真萩
2017/05/10 16:24
きみだんごさんの5/8付け最下段のキリスト教についてのご意見について、どの点についてそのようにお考えなのですか? 以外でした。
よろしかったら説明して下さいませんか。

真萩
2017/05/11 18:32
キリスト教では、行いによるのではなく、信仰によって義と見なされるという考え方が、まず始めに来るので、人間の善行や努力へのインセンティヴに欠けるところがあると思うのです。判断基準も善悪ではなく罪と義になります。もちろん、良い行いをすることも説かれますが、救いとは別の話になります。また、信仰をはじめ全てを神の思し召しや恵みと見なしますから、個人の努力や善行の入り込む余地がなくなります。私個人は正式なクリスチャンではないので、個人の努力や善行による義認も認めたいところなのです。そうでないと善いことをする人が現れません。
きみだんご
2017/05/12 10:03
お返事下さり有り難うございます。私は聖書を読む程度で詳しくは知りませんが、いち市民として普通に生き、時には善行を積むこともあれば自然に天国に召され、しかし、他人に悪行を働けば地獄に落ちると単に認識していました。悪行を働いて人を傷つければ必ず報いがきます。ご存知かと思いますがそれを仏教では因果応報といわれていますね。キリスト教も仏教も救い導く宗教だと思います、どうか信じて生きましょう。
真萩
2017/05/12 20:18

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